[私の好きなモノそして人]〜テレビドラマって観ますか?〜 VOL.12「TBS金ドラ時代」

1983年、この年のTBSはやってくれました!

『金曜日の妻たちへ』脚本:鎌田敏夫


出演:古谷一行、小川知子、泉谷しげる、佳奈晃子、竜雷太、石田えり、いしだあゆみ、佐藤友美。

その後、IIIまで続く大ヒットとなった、所謂バブル不倫ドラマ『金妻』の登場です。


舞台は当時徐々に人気の出て来ていた東急田園都市線の「たまプラーザ」。
このドラマで人気に一気に火が付いて、ちょっとしたセレブラインとなった田園都市線の価値観は『金妻』が作り上げたと言っても過言ではありません。
そうは言え、優れたマーケティング力を持つドラマスタッフが『金妻』の舞台に選ぶ要素を作り上げた東急電鉄の街づくりも大したモノであることも間違いありません。

83年、日本はもうバブルに突入し始めていて、一億総中流の上的な感覚になり始めていました。
登場人物達は、核家族の申し子である所謂団塊の世代。
じーちゃんばーちゃんなんて微塵も出て来ません。
ご批判は承知で言いますが、戦後の戒律なき自由の思想の導入で馬力はあるけど、大切な何かを見失っている人たち、若しくは持ち合わせていない人たちが主人公なのです。

安定した物質的豊かさを手に入れた夫婦たちは、物では埋まらない何かを不倫に求めます。それが何だかオシャレに感じてしまう彼らの素敵な家、夫婦同士の付き合い方、ファッション、そしてベースとなる街。
視聴者たちは皆、その全てを都会的なものに対する羨望と収入の後退など考えられない時代の作り上げた高揚感を以て見つめ、憧れたのでした。

また、大ヒットとなったⅢ(85年)の主題歌、小林明子「恋に落ちて」も不倫を含めた彼れの生活感や価値観をオシャレに見せるのに一役買いました。
この曲の印象があまりに強く、私はⅠからこの曲だと勘違いをしていました。

こんな言い回しをしていますが、かく言う私も何の躊躇いもなく、バブリーなこの感覚にちょっと胸躍るものがあったのは事実です。
今の若い人達には想像もできない感覚が、東京にはありました。私は東京におりましたので、他の地方でのリアルな感覚は分かりませんが、間違いなく東京にはそんな感覚がありました。
当時のOLの殆どがヴィトンやグッチのバッグを一つや二つは持っていたと思います。
夜中の六本木には人が溢れ、終電過ぎても人の数は減らず、誰もが平気でタクシーで自宅に帰る為、深夜1時から3時くらいまではタクシーを拾うことさえできないほどの浮かれぶりでした。
土地の値段は永遠に上がると誰もが思っており、給料はどんどんと上がりました。
東京通勤1時間以内(神奈川方面)の70㎡程度のマンションの相場は7,000万くらいで
私などはもうマンションを買うことは難しいとさえ感じる状態であったことは、前にも触れた通りです。
そんな時代の代表的姿を分かり易く映像として表現されたのが『金曜日の妻たちへ』でした。
ある意味、幸せな時代だったと思います。

そして、『Ⅱ男たちよ、元気かい?』(84年)では、場所を中央林間(小田急線中心)に移し、高橋惠子、伊武雅刀、岡江久美子、小西博之、岡江久美子、板東英二、篠ひろ子、竜雷太、田中好子、志穂美悦子、香坂みゆきなどの面々が、Ⅰの続きではなくまた新たの話として展開されて行きました。

Ⅱは、Ⅰよりも平均視聴率は良かったようです。最高視聴率は20%を記録していました。
そして、『Ⅲ恋に落ちて』(85年)の最高視聴率は23.8%とシリーズ最高となりました。
先程書きました、主題歌「恋に落ちて」とのイメージがマッチしての効果も大きかったと
思います。
「金曜日の妻たちへⅡ フリー画像」の画像検索結果"

役者人は、ⅠのメンバーとⅡのメンバーがミックスされた形で起用されました。
古谷一行篠ひろ子小川知子いしだあゆみ、森山良子、奥田英二、泉谷しげる、板東英二、長塚京三の面々。
Ⅰ、Ⅱのミックス型の役者の起用法も、視聴率に大きく寄与していたのではないでしょうか?
Ⅲでは、舞台を田園都市線に戻し、つくし野周辺でありました。
このブームは世の主婦層だけにとどまらず、OL、そして男性にも大きな影響を与えたものと考えます。

ドラマは時代を分析し、トレンドを見事に掴み、そこに在る表と裏を見つめ、ある意味問題定義をしながらも、世の中を先導していきました。
私たちは、様々なものを内服しながらも経済的、物質的な豊かさを追い続けることとなったのです。
中曽根内閣の「不沈空母」の発言さながら、経済的後退など全く想像もしない右肩上がりを当然のことのとして時代は進んでいきました。

TBS金ドラ『金妻』の次は

『ふぞろいの林檎たち』脚本:山田太一の登場です。

凄い連携です。
出演:中井貴一、時任三郎、柳沢慎吾、国広富之、手塚理美、石原真理子、高橋ひとみ、中島唱子、小林薫、吉行和子。
「ふぞろいの林檎たち フリー画像」の画像検索結果"

このドラマでも、山田太一の独特な台詞回しはおよそ若者が話す言葉とは思えない山田太一節が炸裂し、独特の世界を作り上げました。
『金妻』とは違い、今度はバブリーな感覚は皆無です。

「そんな言い方しねーよ!」

思わず突っ込みたくなる彼らの放つ台詞回しは、それでも何故か面白いのです。

私はこのドラマでも、二人の大好きな俳優さんが出来ました。
中井貴一と小林薫のお二人です。

あれ以来、特に中井貴一からは目を離せません。
決して美男子ではないのに二枚目で、何をやっても嫌味がない彼の雰囲気。
コミカルな役もシリアスな役も、とてもフラットにこなす兎に角信じられる役者さんだと私は思います。

『ふぞろいの林檎たち』の主題歌は、ご存知ザザンオールスターズの3曲目「いとしのエリー」
当時3曲目にバラードを出して、聴衆の心に残る安定した人気を獲得すると言う手法が、音楽業界にはあった様です。

タイトルにエリーが流れ、ブラウン管に映る絵は赤い林檎を幾つもの手がフワッと上へ投げ上げ、また掌に落ちるというスローモーション。

観ていた人全員の目にに焼き付いたオープニングです。

ここに登場する三流大学の学生の主人公たちは至って普通の家庭の人々で、バブルなど微塵も感じさせない人たちの持つ様々なコンプレックスや仲間意識、人間関係、そして家族観などをとても古き良き日本人らしく描いた作品でした。

柳沢慎吾を使って現代っ子的な軽い考え方や即物的考え方を対比として用いて、時代の持つこの軽薄さを山田太一は批判的に描いていたように思います。
柳沢慎吾の役は時代の象徴であり、「軽さ」は時代の流れでもありましたので、それに対する山田太一のアンチテーゼの様なドラマだった気もします。
それでも柳沢慎吾のステキなところもちゃんと描いていて、登場人物に悪人がいないのも山田太一のステキな所です。

同じ時代で、何故こんな相反するようなドラマが同じ枠で作られたのか、または意図して作ったのか、、、、
兎に角このドラマも大ヒットしました。『ふぞろいの林檎たち』もその後97年のⅣまで作られることとなります。
同じ時代に、緩急をつけたTBS金ドラ、恐るべしです。


そして、TBSの金ドラはその後に今度は、
テレビドラマをある種新しい感覚で楽しめた、言い換えますと、私が真のドラマ好きになったドラマが始まりました。

『夏に恋する女たち』

と言うタイトルのドラマです。
出演:田村正和、原田芳雄、津川雅彦、萬田久子、梓みちよ、美保純、名取裕子、岡本信人の面々です。
主題歌は大貫妙子の同名タイトル
「夏に恋する女たち」
これがまた良い歌なのです。

タイトルコールは主演者全員が揃って「夏に恋する女たち!」というのですが、原田芳雄だけが「男たち!」と間違ってから「女たち!」と言い直す遊び心もイカシテました。

このドラマの名前を言って分かる人は割と少数です。しかしこれは面白かった!
先日、友人のオフィスで開かれた忘年会で、偶然にも『夏に恋する女たち』の話題になりました。その方は長く外国で過ごしていた方なのですが、昔やってた好きなドラマの話を私が振った時にこの題名が出てきたのです。これは珍しいと、お互いに盛り上がりました。
世の中に、一番にこの題名が出て来る人が居るとは、世の中は広いやら狭いやら。
何とも嬉しい出会いでありました。

このドラマは、田村正和がそれまでの無機質な二枚目から、人間的な弱さや面白さを演じた初めての作品だろうと思います。

これは飽くまで私の私見ですが、それまでの田村正和と言えば、板東妻三郎の息子という大きなものを背負って、眠狂四郎に代表されるような内面の葛藤などお首にも出さない二枚目を演じていたように思います。
そう言う訳で、私はそれまで田村正和という役者さんにほとんど興味はありませんでした。しかし、このドラマでの田村正和は人間味あふれる二枚目で最高に良かったのです!

これは想像ですが、原田芳雄をはじめ、癖のある役者さんに囲まれ自分一人が主役ではなく、それぞれが演技のセッションの様にやり取りしていくこのドラマの感じは、田村正和という役者さんを大きく良い方向に導いたのではないかと思っています。

その後のTBSのプロデューサー八木康夫とタッグを組んだ田村正和のコメディータッチのドラマシリーズ『うちの子にかぎって、、、』『パパはニュースキャスター』などは世の中のハートをキャッチしました。
勿論私も田村ドラマの大ファンでありました。

ドラマの舞台は六本木のとあるマンションの同じ階に居合わせたそれぞれの過去や癖を持つ訳ありばかりの独身者たちの物語でした。

『金妻』で夫婦、『ふぞろいの林檎たち』で青春や家族、『夏に恋する女たち』で独り者をテーマにそれぞれの角度から、時代を考え切り取り、問題点を浮き彫りにして行きながら時代を描き先導していった訳です。

バツイチカメラマン、中年ホスト、レイプ経験のあるイラストレーター、離婚直後の女性、画廊経営者、不良娘などなどなかなかの人たちです。

独身の自由さ、独身の淋しさ、六本木を用いた都会的な雰囲気、都会での乾いた人間関係、ちょっとした優しさなどを、シリアスなテーマを含めながら時代感覚あふれる軽妙でこみかるなタッチで描かれて行きました。

自由だけど淋しい、カッコいいけどコミカル、憎んでいるけど好き、強がっているけど泣きたい、そんなそれぞれの感情が交差し同期してお互いに関心を持たなく徐々に反目しあったそれぞれの隣人たちが、少しづつ心を寄せ合っていく、そんなドラマでした。

「人は一人では生きていけない。だけど、人と一緒に生きるのは息が詰まる。」

こんなことがベースのテーマとしてあったように思います。
カッコ良く、寂しく、いとおしい、そんなことを同時に感じることのできる、時代を象徴した秀逸なドラマであったと思います。もしかすると時代とは関係なく、人が抱える反目する本質を、バブルの時代を利用して描いたドラマだったのかも知れません。
当時20代前半であった私には、この大人っぽい世界にとても憧れたものです。

そして田村正和、原田芳雄の二人の役者さんは最高にカッコ良かった!

TBS、大映テレビの『スチュワーデス物語』堀ちえみ、風間杜夫、石立鉄男等の出演した大ヒットシリーズもありましたが、私は高校以降、大映テレビの製作したものを観ていないので残念ながらコメントはできません。


83年は邦画に話題作ヒット作も多くありました。
『ションベンライダー』相米信二監督 
得意の長回しが生きる躍動感と切なさに溢れる素敵な作品でした。

『幻魔大戦』平井和正原作、石ノ森章太郎原画、りんたろう監督
当時この映画を映画館で観終わった時に、大変な衝撃を受けました。アニメーションでありながら、カット割りからアングル、編集の素晴らしさとそのすべてのリアリティーが素晴らしく、アクションを実写で撮る意味はもうなくなって来るのではないかと思わせるものがありました。私は所謂アニメファンではありませんので正確なことは言えませんが、この映画が現代日本アニメ界のある種エポックとなったのではないかと今でも思っています。
『時代屋の女房』村松共視原作、大森東監督
夏目雅子、可愛かったです1

『戦場のメリークリスマス』大島渚監督 
あまりにも有名な坂本龍一のテーマに乗せて北野武が監督業に目覚めた作品でした。彼は後日「映画ってーのは、監督のものだということをつくづく思い知らされたと言ってたのを思い出します。

『家族ゲーム』森田芳光監督、独特の世界観と演出、そして松田優作の演技が光りました。家庭教師の家での食事シーンがあり得ない横1列というのも斬新でした。

『探偵物語』根岸吉太郎監督 テレビドラマとは同名でありながら全く別物の映画でした。薬師丸ひろ子は可愛かったです。松田優作の必要性はあったのかー???

『南極物語』57億円の興行収入を叩き出した大ヒット映画。

ミュージックシーンでは、大きな動きはなかったように思いますが、私の敬愛する山下達郎氏が不朽の名作「クリスマス・イブ」の収録されたアルバム「MELODIED」をリリースした年でありました。
70年代後半から日本ではパンクロックの影響が色濃く出ていたビート主体の縦乗りの時代に、「MELODIES」というアルバムタイトルを付けた達郎氏のロックンロール魂にニヤリとして大きく首を縦に振っていた私です。
JR東海の一世を風靡した深津絵里を起用したCM「シンデレラエキスプレス」は、その後6年の月日を経て、89年に「クリスマス・イブ」を国民的楽曲にしてくれました。
他の達郎氏の曲もそうですが「クリスマス・イブ」という曲は、時代を超えた曲ですね。

そして達郎氏と犬猿の仲と囁かれていたあの小田和正が2001年12月25日『クリスマスの約束』という番組をTBSでスタートしました。
初回は、TBSからの依頼にこたえて小田氏が同じ時代を音楽というフィールドで切磋琢磨してきたミュージシャンたちと、彼らの作った素敵な歌を一緒に歌いたい。そういうことから始まった番組でした。
若い時代には、お互いをライバル視していたりしていてなかなか素直に他のミュージシャンの音楽を肯定できなかったのでしょう。
しかし、長い音楽とのある種戦いの中で、同じ時代をやはり戦い抜いてきたミュージシャンたちに、同胞意識の様なものが芽生えたと小田氏はその時言っておりました。
そのきっかけになったのがこの「クリスマス・イブ」であった様です。
この曲を聞いたときに、「なんて素晴らしい曲なのだろう!」素直にそう思ったそうです。その時にふと自分の音楽人生とパラレルで活きてきたミュージシャンたちに対して、そのような感情が込み上げてきて、「クリスマスの約束」の初回番組コンセプトが出来上がったのだそうです。

彼は達郎を含めた何人かのミュージシャンに自筆の長い長いラブレターを送り番組に出て一緒に歌って欲しいとお願いしました。
しかし残念ながら、初回は誰も出てくれませんでした。
手紙を送ったミュージシャン達からは、それぞれちゃんと返事が届いていました。
勿論達郎からも。

内容は、
「小田さんからお手紙を頂いて驚き感激していると。30代に尖っていた自分の事、「クリスマス・イブ」はオフコースに触発されて作った曲である事などにも触れ、長い時間を経てこの「クリスマス・イブ」を小田さんに歌って頂けるようになったこについて、本当に嬉しく思っています。しかしながら、私はテレビには出演しないと決めており、残念ながら小田さんのご期待に添うことが出来ません。何卒ご容赦の程を。」

そんな内容でした。
小田氏にとって、達郎からのこの手紙は現場に来てもらうことと同じくらいに嬉しい手紙であったようです。
小田氏はそれぞれの返事の手紙を読み上げて、一緒に歌いたかったそれぞれのミュージシャンのお気に入りの曲を彼一人で歌う番組となりました。

その切なさも伴い、番組は新しい小田和正のステキさを表現するのに十分なものとなったことは間違いありません。
もう十数回続いていますが、この回が一番素敵な回であったと、私は思っています。


話は少しそれましたが、一年でこれだけのものを叩き出した83年は、色々な意味で時代のエポックとなった年だと言えそうです。


~つづく~







コメント