「私の好きなモノそして人。」~テレビドラマって観ますか?~VOL.11「1980年代に突入」
1979年の残像の中で迎えた1980年。
1980年代の始まりは、
『池中玄太8キロ』1980年。日本テレビ系 でした。
相変わらず、ドラマは圧倒的に日本テレビのものが面白く、人気がありました。
出演は、西田敏行・長門裕之・三浦洋一・坂口良子・杉田かおる・井上純一・宇野重吉・藤谷美和子などの面々。
通信社の専属カメラマン西田敏行が演じる池中玄太と3人の娘、その職場の大きな意味での家族の悲喜交々をベースに、子育て、友情、恋愛などをコメディータッチで描いた、大変面白いドラマでした。
玄太と編集長の(楠公さん)の毎度お決まりの親子喧嘩の様なやり取りは、本当に信頼の上に成り立った喧嘩で、今のパワハラ云々の時代ではあり得ないニュアンスの微笑ましい喧嘩でありました。
そのベースには、『男はつらいよ』での寅さんVSおいちゃんの喧嘩があるとは思いますが、私の好きな愛すべきドタバタです。
そして同僚であり、妻に先立たれ三人の娘を抱える玄太家族の良き理解者であり、また玄太の恋愛対象である鳴山暁子役の坂口良子はこの当時本当に可愛く、多く男性が彼女のファンであったと思います。勿論私もその中の一人です。
そしてリーゼントの三浦洋一も凄く良いムードを出していました。
こうやって書いておりますと、またしても沢山の良い俳優さんが亡くなられています。
宇野重吉はもとより長門裕之・三浦洋一・坂口良子と存命ならばまだ60代の方々もいらっしゃいます。残念なことです。
80年のパート1の後パート2では西田敏行が歌う主題歌「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒットしたり、挿入歌で杉田かおるが歌う「鳥の詩」がヒットするという高視聴率の
ドラマでありました。
面白かったです!
そして1981年になりますとあの大作
『北の国から』脚本:倉本聰
がスタートしました。
倉本聰で言えば『前略おふくろ様』以来の大ヒットドラマとなります。
内容はあまりに有名ですし私などが話すまでもないので割愛いたしますが、その後2002年の遺言までを合わせると実に21年に渡って描かれた、すごーいドラマであります。
キャスト紹介も必要ないですね。
21年の間に、演者も年齢を重ねて行きます。サザエさんではありませんのでその時間の流れを当然視聴者も共有している訳ですので、黒板家の物語は他人事などでは全くなく、どこか自分の知り合いや親せきの話の様になって行くのです。
通常のドラマを観ている感じとは少し違い、例えば近所の中畑さんの叔父さん(地井武男)を見ていて感じるものは、ドラマの登場人物に感じるそれとは少し違い、どこか親せきの叔父さんや近所のおじさんの様な生々しさがあるのです。
全てが、『北の国から』の役を演じている人のドキュメンタリーの様な感さえしてしまいます。
本当に特別なドラマでしたね。田中邦衛はもう一つの時空では黒板五郎という人物であり、地井武男は中畑さんのおじさんなのだろう、なんて。
蛍ちゃんにいたっては、蛍ちゃんが東京に出てきて中島朋子という女優さんになっているのではないかとさえ思ってしまうのは、恐らく私だけではない筈です。
そして純君を演じているのが、『男はつらいよ』で27作目から満男を演じていた吉岡秀隆であったことも、私としてはグッときました。初代というか2代目の満男、中村はやとから彼に変わった時は何となく違和感を感じていましたが、吉岡君は立派な満男になりました。
「父さん、、、僕は、、、嘘をついていた訳で、、、、、、父さん、嘘をつきました。」
『前略おふくろ様』のサブちゃんの語りでも如何なく実力を発揮したこの口調は、脈々と純君に受け継がれていたのも、何とも嬉しい事でありました。
この様なドラマは、恐らくこれまでもありませんでしたし、これからも作ることは出来なドラマだと思われます。
終盤の、宮沢りえ演ずるしゅうちゃんも良かったなー!
もう一度時間を作って、全編を見直してみたいと思います。
1980・81年には78年からスタートした新しいランキング形式の歌番組『ザ・ベストテン』TBS系、が黒柳徹子と当時局アナだった久米宏により高視聴率を叩き出していた時代でありました。
歌謡曲だけではなく、バンドやソロアーティスト達も出演するという意味では画期的な歌番組だったかも知れません。
画期的だったのは、ランキングに入った人達に生出演してもらうためにスタジオだけではなくどこにでも中継を繋ぎ、時にはコンサート会場であったり駅のホームであったりしました。
その生感覚は特出すべきものがありました。恐らく録画全盛の時代に敢えて生、そしてジャンルを超越した出演者。
あの時代が生み出すそれぞれベクトルの違う価値観が、多様性の時代の幕開けを象徴しており、生放送と生中継がその臨場感に拍車をかけていたように思います。
実験的で挑戦的な実に素晴らしい番組だったと思います。
当然その背景には、それを支えるヒット曲も沢山ありました。
秋止符 / アリス
恋人よ / 五輪 真弓
さよなら / オフコース
贈る言葉 / 海援隊(金八先生のテーマソング)
異邦人 / 久保田 早紀(この一発で消えましたが、この歌は何とも耳に残る旋律でした)
大都会 / クリスタルキング(ハイトーンボイスが話題になりました)
ランナウェイ / シャネルズ(シャネルズの初ブレイク曲です)
私はピアノ / 高田 みづえ
不思議なピーチパイ / 竹内 まりや
昴 / 谷村 新司
順子 / 長渕 剛(今はあんな感じですが、元はこんな感じのフォークソング的人でした)
青い珊瑚礁 / 松田 聖子
恋 / 松山 千春
ダンシングオールナイト / もんた&ブラザーズ(何とも不思議な歌い方でした)
パープルタウン / 八神 純子
雨の慕情 / 八代 亜紀
さよならの向こう側 / 山口 百恵(百恵ちゃん、引退ソング)
RIDE ON TIME / 山下 達郎(初のブレイクソングです。MAXELLのCMソング)
守ってあげたい / 荒井 由実
ペガサスの朝 / 五十嵐 浩晃
まちぶせ / 石川 ひとみ
愛はかげろう / 雅夢
ロンリー・ハート / クリエイション
お嫁サンバ / 郷 ひろみ
ギンギラギンにさりげなく / 近藤 真彦
ハリケーン / シャネルズ
街角トワイライト / シャネルズ(ヤンキーっぽいのですが、ブラックミュージックのムードがとても新鮮でした。初めはハーモニーもめちゃめちゃでしたが、とても上手くなってきました)
万里の河 / CHAGE&ASKA
ルビーの指環 / 寺尾 聰(突然俳優さんが歌ってレコード大賞!流行りました!)
もしもピアノが弾けたなら / 西田 敏行(池中玄太80キロの挿入歌)
メモリーグラス / 堀江 淳
チェリー・ブラッサム / 松田 聖子
夏の扉 / 松田 聖子
長い夜 / 松山 千春(松山千春が踊りながら歌ったのが話題でした)
スローなブギにしてくれ / 南 佳孝(映画のテーマソングにもなりカッコ良い歌でした)
春咲小紅 / 矢野 顕子(あまりにコアすぎてヒットするとは思っていなかった人です。私はファーストアルバムを買いました)
みちのくひとり旅 / 山本 譲二
この凄まじい数のヒット曲を、私だけではなく恐らくこの時代を知っている人であればほぼ全員覚えているのではないかと思われます。演歌・歌謡曲・バンド・ソロアーティスト・歌手だかアーティストだか分からない人など様々なジャンルがものすごいボリュームで出来上がってきた時代だったのだと思います。
※あまりに曲が多いのでリンクさせていませんが、懐かしく思った方はYouTubeをご覧ください。
上記のメンバーで、唯一テレビで見られなかったのは私の敬愛する山下達郎だけでありました。
そしてこの様なテレビ番組や歌は、自分の時代のシーンをフラッシュバックの様に呼び起こします。それはある時は、割と広範囲が写った写真の様でもあり、モーションピクチャーの様でもあります。80年と言えば私の場合それがパチンコ屋だったり、お茶の水・神保町界隈だったり、喫茶店ラテン区・アッサム・ぶどうの木、カレーのいもや・キッチン南海・スイートポーズ(餃子屋)、雀荘の司だったり、その当時の友人たちだったりします。
渋谷では、輸入レコードやのシスコ・ホンキートンク・ディスクユニオン、原宿では、喫茶店Like a Bamboo、Henry Africa,渋谷区立中央図書館(私たちは原宿図書館と呼んでいました)なんかがほぼ同時に浮かんできます。
当時友達が友達を呼び、渋谷を歩いていると必ず誰か知り合いに会うというような状態でした。そうは言っても、チーマーとかではなく、渋谷は意外と健全な街でした。
友人関係は、予備校の駿台で知り合った戸山高校の連中と母校である日比谷高校、そしてその友達という感じでネズミ算的に増えって行きました。
現在でも使われている言葉で当時流行り始めたのが、麻布高校の連中が言い始めた「鬼の様に」と我々日比谷高校が流行らした「チョー~」があります。正確には、78年79年くらいからの流行り言葉です。「チョー」はそれまでも勿論あった言葉ですが、そんなに多用されることがある表現ではありませんでした。
この話をすると、「そんなー!?」と大概の人が言いますがこれは本当です。「チョー~!」は我々の中だけで多用されていたのですが、1年くらい経つと渋谷のあちこちで耳にする様になり、これには驚いたものです。
語源は、私の友人である「分部君」です。しかしこれは本人は知りません。あまりにユニークな使い方であったので、私が仲間内で多用しているうちにこんなことになりました。
ちょっと自慢です。(笑)
そんな80年81年でありました。
82年には何故かそう記憶に残るドラマはありません。
そして、83年にまた印象深いドラマが始まりました。
~つづく~
1980年代の始まりは、
『池中玄太8キロ』1980年。日本テレビ系 でした。
相変わらず、ドラマは圧倒的に日本テレビのものが面白く、人気がありました。
出演は、西田敏行・長門裕之・三浦洋一・坂口良子・杉田かおる・井上純一・宇野重吉・藤谷美和子などの面々。
通信社の専属カメラマン西田敏行が演じる池中玄太と3人の娘、その職場の大きな意味での家族の悲喜交々をベースに、子育て、友情、恋愛などをコメディータッチで描いた、大変面白いドラマでした。
玄太と編集長の(楠公さん)の毎度お決まりの親子喧嘩の様なやり取りは、本当に信頼の上に成り立った喧嘩で、今のパワハラ云々の時代ではあり得ないニュアンスの微笑ましい喧嘩でありました。
そのベースには、『男はつらいよ』での寅さんVSおいちゃんの喧嘩があるとは思いますが、私の好きな愛すべきドタバタです。
そして同僚であり、妻に先立たれ三人の娘を抱える玄太家族の良き理解者であり、また玄太の恋愛対象である鳴山暁子役の坂口良子はこの当時本当に可愛く、多く男性が彼女のファンであったと思います。勿論私もその中の一人です。
そしてリーゼントの三浦洋一も凄く良いムードを出していました。
こうやって書いておりますと、またしても沢山の良い俳優さんが亡くなられています。
宇野重吉はもとより長門裕之・三浦洋一・坂口良子と存命ならばまだ60代の方々もいらっしゃいます。残念なことです。
80年のパート1の後パート2では西田敏行が歌う主題歌「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒットしたり、挿入歌で杉田かおるが歌う「鳥の詩」がヒットするという高視聴率の
ドラマでありました。
面白かったです!
そして1981年になりますとあの大作
『北の国から』脚本:倉本聰
がスタートしました。
倉本聰で言えば『前略おふくろ様』以来の大ヒットドラマとなります。
内容はあまりに有名ですし私などが話すまでもないので割愛いたしますが、その後2002年の遺言までを合わせると実に21年に渡って描かれた、すごーいドラマであります。
キャスト紹介も必要ないですね。
21年の間に、演者も年齢を重ねて行きます。サザエさんではありませんのでその時間の流れを当然視聴者も共有している訳ですので、黒板家の物語は他人事などでは全くなく、どこか自分の知り合いや親せきの話の様になって行くのです。
通常のドラマを観ている感じとは少し違い、例えば近所の中畑さんの叔父さん(地井武男)を見ていて感じるものは、ドラマの登場人物に感じるそれとは少し違い、どこか親せきの叔父さんや近所のおじさんの様な生々しさがあるのです。
全てが、『北の国から』の役を演じている人のドキュメンタリーの様な感さえしてしまいます。
本当に特別なドラマでしたね。田中邦衛はもう一つの時空では黒板五郎という人物であり、地井武男は中畑さんのおじさんなのだろう、なんて。
蛍ちゃんにいたっては、蛍ちゃんが東京に出てきて中島朋子という女優さんになっているのではないかとさえ思ってしまうのは、恐らく私だけではない筈です。
そして純君を演じているのが、『男はつらいよ』で27作目から満男を演じていた吉岡秀隆であったことも、私としてはグッときました。初代というか2代目の満男、中村はやとから彼に変わった時は何となく違和感を感じていましたが、吉岡君は立派な満男になりました。
「父さん、、、僕は、、、嘘をついていた訳で、、、、、、父さん、嘘をつきました。」
『前略おふくろ様』のサブちゃんの語りでも如何なく実力を発揮したこの口調は、脈々と純君に受け継がれていたのも、何とも嬉しい事でありました。
この様なドラマは、恐らくこれまでもありませんでしたし、これからも作ることは出来なドラマだと思われます。
終盤の、宮沢りえ演ずるしゅうちゃんも良かったなー!
もう一度時間を作って、全編を見直してみたいと思います。
1980・81年には78年からスタートした新しいランキング形式の歌番組『ザ・ベストテン』TBS系、が黒柳徹子と当時局アナだった久米宏により高視聴率を叩き出していた時代でありました。
歌謡曲だけではなく、バンドやソロアーティスト達も出演するという意味では画期的な歌番組だったかも知れません。
画期的だったのは、ランキングに入った人達に生出演してもらうためにスタジオだけではなくどこにでも中継を繋ぎ、時にはコンサート会場であったり駅のホームであったりしました。
その生感覚は特出すべきものがありました。恐らく録画全盛の時代に敢えて生、そしてジャンルを超越した出演者。
あの時代が生み出すそれぞれベクトルの違う価値観が、多様性の時代の幕開けを象徴しており、生放送と生中継がその臨場感に拍車をかけていたように思います。
実験的で挑戦的な実に素晴らしい番組だったと思います。
当然その背景には、それを支えるヒット曲も沢山ありました。
秋止符 / アリス
恋人よ / 五輪 真弓
さよなら / オフコース
贈る言葉 / 海援隊(金八先生のテーマソング)
異邦人 / 久保田 早紀(この一発で消えましたが、この歌は何とも耳に残る旋律でした)
大都会 / クリスタルキング(ハイトーンボイスが話題になりました)
ランナウェイ / シャネルズ(シャネルズの初ブレイク曲です)
私はピアノ / 高田 みづえ
不思議なピーチパイ / 竹内 まりや
昴 / 谷村 新司
順子 / 長渕 剛(今はあんな感じですが、元はこんな感じのフォークソング的人でした)
青い珊瑚礁 / 松田 聖子
恋 / 松山 千春
ダンシングオールナイト / もんた&ブラザーズ(何とも不思議な歌い方でした)
パープルタウン / 八神 純子
雨の慕情 / 八代 亜紀
さよならの向こう側 / 山口 百恵(百恵ちゃん、引退ソング)
RIDE ON TIME / 山下 達郎(初のブレイクソングです。MAXELLのCMソング)
守ってあげたい / 荒井 由実
ペガサスの朝 / 五十嵐 浩晃
まちぶせ / 石川 ひとみ
愛はかげろう / 雅夢
ロンリー・ハート / クリエイション
お嫁サンバ / 郷 ひろみ
ギンギラギンにさりげなく / 近藤 真彦
ハリケーン / シャネルズ
街角トワイライト / シャネルズ(ヤンキーっぽいのですが、ブラックミュージックのムードがとても新鮮でした。初めはハーモニーもめちゃめちゃでしたが、とても上手くなってきました)
万里の河 / CHAGE&ASKA
ルビーの指環 / 寺尾 聰(突然俳優さんが歌ってレコード大賞!流行りました!)
もしもピアノが弾けたなら / 西田 敏行(池中玄太80キロの挿入歌)
メモリーグラス / 堀江 淳
チェリー・ブラッサム / 松田 聖子
夏の扉 / 松田 聖子
長い夜 / 松山 千春(松山千春が踊りながら歌ったのが話題でした)
スローなブギにしてくれ / 南 佳孝(映画のテーマソングにもなりカッコ良い歌でした)
春咲小紅 / 矢野 顕子(あまりにコアすぎてヒットするとは思っていなかった人です。私はファーストアルバムを買いました)
みちのくひとり旅 / 山本 譲二
この凄まじい数のヒット曲を、私だけではなく恐らくこの時代を知っている人であればほぼ全員覚えているのではないかと思われます。演歌・歌謡曲・バンド・ソロアーティスト・歌手だかアーティストだか分からない人など様々なジャンルがものすごいボリュームで出来上がってきた時代だったのだと思います。
※あまりに曲が多いのでリンクさせていませんが、懐かしく思った方はYouTubeをご覧ください。
上記のメンバーで、唯一テレビで見られなかったのは私の敬愛する山下達郎だけでありました。
そしてこの様なテレビ番組や歌は、自分の時代のシーンをフラッシュバックの様に呼び起こします。それはある時は、割と広範囲が写った写真の様でもあり、モーションピクチャーの様でもあります。80年と言えば私の場合それがパチンコ屋だったり、お茶の水・神保町界隈だったり、喫茶店ラテン区・アッサム・ぶどうの木、カレーのいもや・キッチン南海・スイートポーズ(餃子屋)、雀荘の司だったり、その当時の友人たちだったりします。
渋谷では、輸入レコードやのシスコ・ホンキートンク・ディスクユニオン、原宿では、喫茶店Like a Bamboo、Henry Africa,渋谷区立中央図書館(私たちは原宿図書館と呼んでいました)なんかがほぼ同時に浮かんできます。
当時友達が友達を呼び、渋谷を歩いていると必ず誰か知り合いに会うというような状態でした。そうは言っても、チーマーとかではなく、渋谷は意外と健全な街でした。
友人関係は、予備校の駿台で知り合った戸山高校の連中と母校である日比谷高校、そしてその友達という感じでネズミ算的に増えって行きました。
現在でも使われている言葉で当時流行り始めたのが、麻布高校の連中が言い始めた「鬼の様に」と我々日比谷高校が流行らした「チョー~」があります。正確には、78年79年くらいからの流行り言葉です。「チョー」はそれまでも勿論あった言葉ですが、そんなに多用されることがある表現ではありませんでした。
この話をすると、「そんなー!?」と大概の人が言いますがこれは本当です。「チョー~!」は我々の中だけで多用されていたのですが、1年くらい経つと渋谷のあちこちで耳にする様になり、これには驚いたものです。
語源は、私の友人である「分部君」です。しかしこれは本人は知りません。あまりにユニークな使い方であったので、私が仲間内で多用しているうちにこんなことになりました。
ちょっと自慢です。(笑)
そんな80年81年でありました。
82年には何故かそう記憶に残るドラマはありません。
そして、83年にまた印象深いドラマが始まりました。
~つづく~
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