「私の好きなモノそして人。」~テレビドラマって観ますか?~VOL.8「山田太一さん、面白い!」
小学校時代の書き忘れを書き終えましたので、またVOL.5の続きを書くことにします。
NHKドラマ『男たちの旅路』は1976年~1982年という長い人気シリーズになりました。
言わずと知れた山田太一脚本です。
鶴田浩二・水谷豊・桃井かおり・森田健作このメンバーで第一部が始まりました。
2部からは森田健作に代わり柴俊夫が加わったため、皆さんの印象では柴俊夫の方が強いかも知れません。
水谷豊は、『傷だらけの天使』のあきら役の雰囲気を少し持ちつつの好演でした。
鶴田浩二演じる警備会社の吉岡司令補は、特攻隊の生き残りでチャラチャラした若者が大嫌いという偏屈な50代の男。
その警備会社に、大嫌いなタイプを含めた2名(水谷豊・森田健作)の若者が研修生として入って来る。そんな出会いからこのドラマはスタートしました。
当時若者たちの間では、「一所懸命」を少しダサい事と捉える風潮は確かにあったように思います。かく言う私の中にもそんな気持ちがありました。偉そうに斜に構えたほうがカッコイイ風な。ティーンエイジャー特有の反抗なのか、時代の風潮なのかは今となっては定かではありませんが、後悔先に立たずです。
そんな時代に吉岡司令補は言うのです。
「俺は、、、そういうのは嫌いだ!、、、、」
「いい奴ばかりが死んでいった。俺の人生はお釣りの人生だ。、、、」
「生きたくても生きられなかった人間の気持ちが君には分かるか!?、、、」
「そんな顔をするな!もっと胸を張れ!」
山田節です。「そんな言い方普通しないけど」、と突っ込みたくなる台詞と
全てに細かなビブラートがかかった鶴田浩二独特の台詞回しがたまりません。
特攻隊の生き残りという鶴田浩二の実際の経歴をなぞりながらの山田脚本は、それまでの任侠映画の主役であった鶴田浩二とは一味も二味も違い、私としては面白くて仕方ありませんでした。
脇目も振らず、自分の命も顧みず任侠の世界を演じてきた人が、人間らしく悩んだり、苦しんだり、筋を通したりするのですから面白くない訳がありません。
先程の台詞は、どこまで正確かははっきりしませんが、私は例によってこのセリフのモノマネを数年に渡りしていた気がします。ポイントは細かいビブラートと悲しげな声です。モノマネはやはりその人に興味がないとやろうと思いません。自分の気持ちのどこかに結構な大きさで引っかかるとそのモノマネをしたくなるのです。
そういう意味では、『黄金バット』の笑い声が私のモノマネのルーツかも知れません。
「ハハハハハー、ハハハハハハー。私の名は黄金バット!」
あの声、引っ掛かりました!(笑)
おやじ世代の口うるさい事ばかりう大人を嫌う若者と、若者嫌いの吉岡司令補が少しづつお互いを理解し、特に若者たちはそんな不器用なまでに真っ直ぐな吉岡に惹かれていきます。
前にも触れましたが、戦後30年経って平和である事が本当に当たり前のようになった時代にできたドラマです。「生きる」ということについて世代間で大変大きな乖離があり、それらはパラレルで存在していた時代であります。
何時の時代も「生きる」というテーマに答えなどなく、それについて考え続けるのが一生であるかも知れませんが、同時代の社会にこれだけ違う風景を見てきた人たちが同舟した珍しい時代だったかも知れません。
このドラマは、この極端な人間たちを対比することによって、そこに在る人としての共通点であったり、違う立場、違う環境の人たちのものの見方は多種多様であり、自分の目から見るモノだけが正しいなんてことはあり得ない。
そんなことを、一所懸命伝えてくれました。
後半になりますが、『車輪の一歩』という障害者を扱った回は、それまでテレビドラマでは扱われなかったテーマに真正面から向き合って、障害者女性の失禁や、男性障害者にとっての生風俗などの話にも触れた社会的に話題になった一作でした。
「迷惑かけたって良いじゃないか!君たちに迷惑をかけているという風に思わせる社会が悪い。もっと胸を張って生きればいい。」
そんな感じの吉岡司令補の台詞だったと思います。
後半に桃井かおりと同棲するようになった吉岡司令補は、少し見たくなかったかもしれませんが、、、
山田節は若者にも支持され、その後『ふぞろいの林檎たち』の大ヒットへと続きます。
1977年、山田太一は忘れられない一作
『岸辺のアルバム』1976年
でまた話題を呼びました。
出演は、先日亡くなられた八千草薫、杉浦直樹、竹脇無我、国広富之、中田喜子、津川雅彦、村野武範、風吹ジュンと言った面々でした。
このドラマで何と言っても忘れられないのが、主題歌がジャニス・イアンの『ウィル ユー ダンス」であったことです。
https://www.youtube.com/watch?v=tfep0Ep3FpE
日本のテレビドラマで、洋楽の主題歌なんてそれまで私の記憶にはなく、大好きなジャニス・イアンであったことが先ず何より新鮮でした。
そして、オープニングで流れる「Will You Dance」に乗った玉川氾濫の映像。平凡な家庭崩壊を多摩川の氾濫の映像で表す演出も、何とも鮮烈でした。
そしてこれがまた鮮烈であったのが、あの清純という言葉が代名詞の様な女優、八千草薫さん。ここはさん付けで呼ばせてください。八千草さんが不倫役でラブホに行ったりしちゃう訳です。
偉そうな日本のお父さんを演じた杉浦直樹さんの威厳崩壊の演技も、少しコミカルでもあり、最高に素晴らしかったです。
杉浦直樹さんも八千草薫さんも本当に好きな役者さんでした。
杉浦直樹さんの映画「ときめきに死す」(森田芳光監督作品)の演技も凄かったです。そして、八千草薫さんは今時にはいないくらい可愛らしく綺麗な女優さんでした。私の知らない若い頃の八千草さんを後年見る機会がありましたが、それこそ可憐という言葉はこの人のためにあるのではないかと思うほど、見目麗しいお姿でありました。
役者さんの名前を挙げてみると、もう何人もお亡くなりになっています。
高校生で観ていた私も来年3月で還暦です。当に「光陰矢の如し」「少年老い易く学成り難し」です。
今月頭に分かったのですが、私もとうとう爺さんになるようです。
「やれやれ、、、」
この当時日本の歌謡曲界は当にピンクレディーの時代でした。
そして、キャンディーズ、岩崎宏美、山口百恵、沢田研二、西城秀樹数え上げたらきりがないですが、そんな人たちが「ベストテン」という黒柳徹子と久米宏司会の斬新な生放送歌番組で世間を盛り上げていました。
フォーク、ニューミュジックでは75’風の「22才の別れ」(かぐや姫カバー)、イルカ「なごり雪」(かぐや姫カバー)、荒井由実「卒業写真」76’「中央フリーウェイ」(14番目の月)、77’高中正義「READY TO FRY」なんかが流行っていました。
洋楽では、75’イーグルスの「ホテルカリフォルニア」に代表されるウェストコーストミュージック、それこそジャニス・イアンの「Love is Blind」、ボズ・スキャッグス「We Are All Alone」(Silk Degrees),アース・ウィンド・アンド・ファイアー「Get Away」(Spilit)などが私たちを刺激してくれていた時代でした。
~つづく~
NHKドラマ『男たちの旅路』は1976年~1982年という長い人気シリーズになりました。
言わずと知れた山田太一脚本です。
鶴田浩二・水谷豊・桃井かおり・森田健作このメンバーで第一部が始まりました。
2部からは森田健作に代わり柴俊夫が加わったため、皆さんの印象では柴俊夫の方が強いかも知れません。
水谷豊は、『傷だらけの天使』のあきら役の雰囲気を少し持ちつつの好演でした。
鶴田浩二演じる警備会社の吉岡司令補は、特攻隊の生き残りでチャラチャラした若者が大嫌いという偏屈な50代の男。
その警備会社に、大嫌いなタイプを含めた2名(水谷豊・森田健作)の若者が研修生として入って来る。そんな出会いからこのドラマはスタートしました。
当時若者たちの間では、「一所懸命」を少しダサい事と捉える風潮は確かにあったように思います。かく言う私の中にもそんな気持ちがありました。偉そうに斜に構えたほうがカッコイイ風な。ティーンエイジャー特有の反抗なのか、時代の風潮なのかは今となっては定かではありませんが、後悔先に立たずです。
そんな時代に吉岡司令補は言うのです。
「俺は、、、そういうのは嫌いだ!、、、、」
「いい奴ばかりが死んでいった。俺の人生はお釣りの人生だ。、、、」
「生きたくても生きられなかった人間の気持ちが君には分かるか!?、、、」
「そんな顔をするな!もっと胸を張れ!」
山田節です。「そんな言い方普通しないけど」、と突っ込みたくなる台詞と
全てに細かなビブラートがかかった鶴田浩二独特の台詞回しがたまりません。
特攻隊の生き残りという鶴田浩二の実際の経歴をなぞりながらの山田脚本は、それまでの任侠映画の主役であった鶴田浩二とは一味も二味も違い、私としては面白くて仕方ありませんでした。
脇目も振らず、自分の命も顧みず任侠の世界を演じてきた人が、人間らしく悩んだり、苦しんだり、筋を通したりするのですから面白くない訳がありません。
先程の台詞は、どこまで正確かははっきりしませんが、私は例によってこのセリフのモノマネを数年に渡りしていた気がします。ポイントは細かいビブラートと悲しげな声です。モノマネはやはりその人に興味がないとやろうと思いません。自分の気持ちのどこかに結構な大きさで引っかかるとそのモノマネをしたくなるのです。
そういう意味では、『黄金バット』の笑い声が私のモノマネのルーツかも知れません。
「ハハハハハー、ハハハハハハー。私の名は黄金バット!」
あの声、引っ掛かりました!(笑)
おやじ世代の口うるさい事ばかりう大人を嫌う若者と、若者嫌いの吉岡司令補が少しづつお互いを理解し、特に若者たちはそんな不器用なまでに真っ直ぐな吉岡に惹かれていきます。
前にも触れましたが、戦後30年経って平和である事が本当に当たり前のようになった時代にできたドラマです。「生きる」ということについて世代間で大変大きな乖離があり、それらはパラレルで存在していた時代であります。
何時の時代も「生きる」というテーマに答えなどなく、それについて考え続けるのが一生であるかも知れませんが、同時代の社会にこれだけ違う風景を見てきた人たちが同舟した珍しい時代だったかも知れません。
このドラマは、この極端な人間たちを対比することによって、そこに在る人としての共通点であったり、違う立場、違う環境の人たちのものの見方は多種多様であり、自分の目から見るモノだけが正しいなんてことはあり得ない。
そんなことを、一所懸命伝えてくれました。
後半になりますが、『車輪の一歩』という障害者を扱った回は、それまでテレビドラマでは扱われなかったテーマに真正面から向き合って、障害者女性の失禁や、男性障害者にとっての生風俗などの話にも触れた社会的に話題になった一作でした。
「迷惑かけたって良いじゃないか!君たちに迷惑をかけているという風に思わせる社会が悪い。もっと胸を張って生きればいい。」
そんな感じの吉岡司令補の台詞だったと思います。
後半に桃井かおりと同棲するようになった吉岡司令補は、少し見たくなかったかもしれませんが、、、
山田節は若者にも支持され、その後『ふぞろいの林檎たち』の大ヒットへと続きます。
1977年、山田太一は忘れられない一作
『岸辺のアルバム』1976年
でまた話題を呼びました。
出演は、先日亡くなられた八千草薫、杉浦直樹、竹脇無我、国広富之、中田喜子、津川雅彦、村野武範、風吹ジュンと言った面々でした。
このドラマで何と言っても忘れられないのが、主題歌がジャニス・イアンの『ウィル ユー ダンス」であったことです。
https://www.youtube.com/watch?v=tfep0Ep3FpE
日本のテレビドラマで、洋楽の主題歌なんてそれまで私の記憶にはなく、大好きなジャニス・イアンであったことが先ず何より新鮮でした。
そして、オープニングで流れる「Will You Dance」に乗った玉川氾濫の映像。平凡な家庭崩壊を多摩川の氾濫の映像で表す演出も、何とも鮮烈でした。
そしてこれがまた鮮烈であったのが、あの清純という言葉が代名詞の様な女優、八千草薫さん。ここはさん付けで呼ばせてください。八千草さんが不倫役でラブホに行ったりしちゃう訳です。
偉そうな日本のお父さんを演じた杉浦直樹さんの威厳崩壊の演技も、少しコミカルでもあり、最高に素晴らしかったです。
杉浦直樹さんも八千草薫さんも本当に好きな役者さんでした。
杉浦直樹さんの映画「ときめきに死す」(森田芳光監督作品)の演技も凄かったです。そして、八千草薫さんは今時にはいないくらい可愛らしく綺麗な女優さんでした。私の知らない若い頃の八千草さんを後年見る機会がありましたが、それこそ可憐という言葉はこの人のためにあるのではないかと思うほど、見目麗しいお姿でありました。
役者さんの名前を挙げてみると、もう何人もお亡くなりになっています。
高校生で観ていた私も来年3月で還暦です。当に「光陰矢の如し」「少年老い易く学成り難し」です。
今月頭に分かったのですが、私もとうとう爺さんになるようです。
「やれやれ、、、」
この当時日本の歌謡曲界は当にピンクレディーの時代でした。
そして、キャンディーズ、岩崎宏美、山口百恵、沢田研二、西城秀樹数え上げたらきりがないですが、そんな人たちが「ベストテン」という黒柳徹子と久米宏司会の斬新な生放送歌番組で世間を盛り上げていました。
フォーク、ニューミュジックでは75’風の「22才の別れ」(かぐや姫カバー)、イルカ「なごり雪」(かぐや姫カバー)、荒井由実「卒業写真」76’「中央フリーウェイ」(14番目の月)、77’高中正義「READY TO FRY」なんかが流行っていました。
洋楽では、75’イーグルスの「ホテルカリフォルニア」に代表されるウェストコーストミュージック、それこそジャニス・イアンの「Love is Blind」、ボズ・スキャッグス「We Are All Alone」(Silk Degrees),アース・ウィンド・アンド・ファイアー「Get Away」(Spilit)などが私たちを刺激してくれていた時代でした。
~つづく~
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