「私の好きなモノそして人。」~テレビドラマって観ますか?~VOL.10「何と言っても松田優作ですね!」

1970年代後半にも、それまでの継承シリーズ、そして新感覚のドラマが次々と登場します。
『俺たちの旅』75年の流れを完全に受け継いだ
『俺たちの朝』76年。極楽寺を舞台に繰り広げられた青春ドラマで、勝野洋・小倉一郎・長谷直美・秋野大作(津坂匡章)・森川正太の面々。これが意外と前作を上回る人気で1年
に渡るロングランでありました。

私は、『俺たちの旅』をしっかり観ていましたので、ちょっとお腹いっぱいでありましたが、楽しく見させていただきました。

そしてその直後中村雅俊が、『俺たちの祭』77年を、鎌田敏夫・金子成人などの脚本家をバックに帰って来ましたが、何だかあまり覚えていません。
お腹がいっぱいになり過ぎたのかも知れませんが、大ヒットはしなかったように思います。なんか、暗かったです。
これで「青春俺たちシリーズ」は終わりました。

『太陽にほえろ!』が終わり後に石原軍団と呼ばれるようになったきっかけとなった
『大都会』76年脚本倉本聰が、が始まりました。これは石原プロモーション初のテレビドラマだった様です。
マル暴デカの渡哲也(黒岩)、事件記者の記者クラブキャップを石原裕次郎で描いた、リアルな暴力団を背景にしたドラマでした。裕次郎が刑事じゃないところが新鮮でした。

『大都会Ⅱ』77年では松田優作が加わり、アクション刑事ドラマに様変わりしました。

『大都会Ⅲ』78年では監督に村川透を迎え、完全なアクションドラマとなりました。
松田優作に代わって寺尾聡が刑事として登場です。

この流れが、のちの『西部警察』になっていきます。
テレビ番組でここまでやるかという爆発シーンやカーレースシーンで、ド派手なアクション刑事ドラマでありましたが、何だかちょっと滑稽でもありました。

そこから2年ほど、日本テレビは『大~』と銘打ったドラマを立て続けに2本
『大空港』78年、鶴田浩二・中村雅俊出演で、まあ『男たちの旅路』のまねっこドラマだったように記憶しています。
『大追跡』78年(複数監督だが、村川透が多く監督を行う)
主演は『太陽にほえろ!』のスコッチで活躍した沖雅也・加山雄三・柴田恭兵・藤竜也・長谷直美等。
横浜を舞台にした刑事ものでした。
この頃から音楽は『ルパンⅢ世』でお馴染みになった大野雄二が独特のアクション的ドラマ音楽の世界を築きあげていました。

沖雅也主役でいえば、『俺たちは天使だ!』79年は大変面白かったです。それまでまじめな印象が強かった沖雅也がコミカルでイカシタ探偵役を演じていたのが印象的です。

スタイリッシュコメディーとでも申しましょうか、基本コメディーなのですが、沖雅也は車の駐車が苦手で赤いカマロをガンガンぶつけて駐車するのが何故だか凄くイカシテました。
出演は沖雅也・神田正輝・・柴田恭兵・そして我らが渡辺篤史・多岐川裕美といった面々。
テーマソングはSHOGUNの「男たちのメロディー」
そして、毎回の題名はその歌詞内にある「運がわるけりゃ~」というような題名だったと記憶しています。

沖雅也は残念なことにこれから数年の後に自殺してしまいますが、この当時の沖雅也は本当にカッコ良かったです。

1978年、この年も多くの記憶に残るドラマが生まれた年です。
『西遊記』出演、堺正章・夏目雅子・西田敏行・岸部シロー。夏目雅子の三蔵法師役が話題でした。
音楽はゴダイゴ。主題歌の「Monkey Magic」エンディングテーマの「ガンダーラ」共にヒットしました。日曜日の夜8時からの放送ということもあり、大人から子供までとても人気がありました。

『白い巨塔』山崎豊子原作。出演、田宮二郎・山元學・小沢栄太郎等。
申し訳ないですが、この話題のドラマを当時観て居りませんでしたので、何とも、、、。
田宮二郎演ずる財前教授を後々再放送で見て、何だか鬼気迫る演技だなーというくらいの印象しかありませんが、とても話題になったことは間違いありません。

『熱中時代』脚本に布施博一などが加わった大ヒットドラマです。
出演は、水谷豊・船越英二・草笛光子・小松方正・志穂美悦子・小倉一郎・秋野大作・木内みどり・山口いずみの面々。
水谷豊演ずる北海道出身の北野広大が東京の小学校を舞台に活躍する学園・ファミリードラマでした。
「よーし、いっかー!」
という北海道弁と思われる水谷豊が言う独特の口調が面白く、これもブームになりました。北海道弁を話す役柄だったのですが、その北海道弁がどうにも下手でとても不思議な口調になっていましたが、それがあまりに独特だったので独特のキャラが確立していきました。

『ムー一族』久世光彦演出
『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』の完全な流れの久世作品ですが、向田邦子脚本ではなかったようです。
出演は郷ひろみ・伊東四朗・渡辺美佐子・樹木希林・伴淳三郎・清水健太郎・五十嵐めぐみ・岸本加代子・細川俊之・たこ八郎・由利徹といった凄いメンバーでした。
今度は石屋ではなく老舗の足袋や「うさぎや」を舞台にした物語でした。
番組内での郷ひろみと樹木希林のデュエット「林檎殺人事件」が大ヒットしました。
このドラマも、ドタバタのお笑いの中に、涙ありの独特の世界観のドラマでした。
毎回劇中内のひとコーナーの様な樹木希林が壁に貼ってある沢田研二のポスターに向かい「ジュリ~~」と体をくねらせていうシーンも流行りました。
そして忘れてはならないのが、名物コーナーの細川俊之とたこ八郎のシーンです。うさぎやに立ち退きを迫るやくざ者の細川俊之とその子分のたこ八郎。うさぎやに訪れる度に仁義を切ったりと礼儀正しい兄貴分細川。そして少しぞんざな言葉を使い「うるせーこの野郎!」と頭を叩かれるたこ八郎。番組構成上必要なのかどうかという、このシーンたちが予定調和の面白さを掻き立てていました。ドラマなのだけど吉本新喜劇の様な要素も沢山盛り込んでいた、そんなドラマでした。
懐かしいですね。

77・78年のヒット曲
洋楽では
「SATURDAY NIGHT FEVER」BEE GEES
「STAIN ALIVE」BEE GEES
「We WILL ROCK YOU」QUEEN
「WE ARE THE CHAMPIONS」QUEEN
「HOTEL CALIFORNIA」THE EAGLES
「FANTASY」EARTH WIND AND FIRE
「STRANGER」BILLY JOEL
「SEPTEMBER」EARTH WIND AND FIRE
何かが世に流れていました。

邦楽では、
ピンクレディー(ありすぎです)
「勝手にしやがれ」沢田研二
「雨やどり」さだまさし
「失恋レストラン」清水健太郎
「フィーリング」ハイファイセット
「微笑みがえし」キャンディーズ引退ソング
「時間よとまれ」矢沢永吉
「ミスター サマータイム」サーカス
「チャンピョン」アリス
「君の瞳は100万ボルト」アリス

そしていよいよ1979年、
『探偵物語』(複数監督ですが村川透が中心監督、そして脚本には数回丸山昇一の名前がありました。)松田優作主演の最高にかっこいいドラマが始まりました。


出演は、成田三樹夫・倍賞美津子・ナンシーチェニー・竹田かほりというかなり渋めのキャスティングで、
その後、松田優作の映画「遊戯シリーズ」を撮った村川透が松田優作とタッグを組んだのです。
音楽はSHOGUN。テーマソングの「BAD CITY」もエンディングテーマの「LONELY MAN」二つともカッコ良い曲でしたし、ドラマにジャストフィットでした。

当時、このドラマ内で松田優作のやっていることは、若い男性の中で大流行でした。
たまたま、彼が自動車の運転免許を持っていなかった為に使用されたVESPA(イタリアのスクーター)はそのあまりのカッコよさで若者たちに大人気に、そして煙草(キャメル)に火を点けるのもカルティエのライターの火をどでかくして点けたりしていたので、当時オジサンの高級ライターであったカルティエを持っているのが、ちょっとオシャレでした。

このように探偵工藤俊作の人物設定はハードボイルドの基本に則って細かな部分まで設定されており、その細かさゆえに工藤ちゃんはスタイリッシュで物凄くカッコ良かったのです。
時にはド派手なストライプのスーツに赤いシャツ白いネクタイ。山高帽にサングラス。松田優作でなければチンドン屋の恰好になってしまいますが、これがまたカッコイイ訳です。

物語のベースや雰囲気は萩原健一の『傷だらけの天使』からの正当な流れであり、アウトサイダーの孤独なニヒリズムが更にハードボイルド的に進化したようなヒーロー像を作り上げました。

東京にある(どこかは分かりません)工藤探偵事務所には、風俗嬢やオカマちゃんやらが絶えずうろうろしていて、工藤ちゃんは社会的弱者に対してとても優しく、彼らといつも目線がイーブンなところも彼の魅力の一つです。
そして、依頼者との約束は決して破らないのです。それがどんなに割に合わなくても困難でも。
ブラックコーヒーが好きで、美食家、そして寝るときはアイマスクをする。
まだまだあったような気がしますが、本当に細かい人物設定がなされていました。

また、それまでヤクザ映画でしか見たことのなかった成田三樹夫が工藤を付け狙う刑事役で出演しており、これがまた素晴らしい名演で、彼が工藤に頼み事をする時、聞き出したいことがある時、弱みを握られたときなどに言う

「工藤ちゃんさ~~」

というとてもねちっこい言い方が最高でした。

工藤ちゃんは何度逮捕されても平気なのです。
それは、いつでも手錠を自由に外せる特技なんかも持っていたからです。このシーンは何度となく出てきますが、毎回成田三樹夫の部下が不思議がるシーンを楽しみにしていたものです。

松田優作の日本人離れした身長や手足の長さ、それに伴う動き、そして年齢からは考えられない存在感、個性。当時彼はまだ30歳くらいでした。今の時代上手い役者さんは沢山いますが、30歳であの存在感や何とも言えない孤独感を抱えた役者さんを私は知りません。

そんな松田優作の凄さを思い知ったのが角川映画『野獣死すべし』でのワンシーンです。
バーのカウンター前で加賀丈史がこれ以上ない迫真の演技をした時に、松田優作が登場するや否や、スクリーンの絵はアッいう間に松田優作に飲み込まれたしまったのです。

狂気を帯びた加賀丈史の演技を観ている時私は

「凄いなー!これに優作はどう対応するのだろう???」

そんなことを考えながら観て居りました。それが杞憂であったことは上に書いた通りなのですが、感情のない人の怖さを表情・目つき・体の動き全てで表現し、動の加賀丈史を静で飲み込んだのです。

本当に驚きました。凄い人です。

『探偵物語』内では、コミカルな一面や刑事に媚を売ったりする慇懃無礼な腰の低い感じ、圧倒的な強さ、そして胸が詰まるような淋しい顔。人間の喜怒哀楽を彼独特の表現でやりきっていた様に思います。

萩原健一は生まれながらの天才肌で、松田優作はどちらかというと努力の天才だったように思います。萩原健一になく松田優作にあったのは、研ぎ澄まされた「死のにおい」という、どうしようもない孤独だったと私は思っています。

その後約10年で、松田優作はこの世を去りますが、本当にもっともっと観ていたい役者さんでした。出て来るだけで主役、立っているだけでヒーローになる役者さんはそうはいないと思います。

これまでも、そしてこれからも。

1979年には、
『三年B組金八先生』が始まりました。
社会現象とまで言われたこのドラマですが、私は何故かあまり好きではなく、毎週真剣に観るということはなかったので、語るべきことはありません。

1979年は私にとって『探偵物語』の年でした。
松田優作がまだ存命であればもう70歳を超えたあたりです。
老年の松田優作を、そしてその歳の彼の演技を観てみたかったと、心から思うのです。

~つづく~

















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