「私の好きなモノそして人。」~テレビドラマって観ますか?~VOL.9「寅さんについてもちょっと、、、」
70年代中盤、皆さんはあまり覚えていないかも知れませんが、こんな長い題名のドラマがありました。
『二丁目の未亡人は、やせダンプと言われる凄い子連れママ』1976年
こんな長い題名のドラマはこれが初めてでしたので、それだけでも話題になりました。その長い題名だけで、どこか挑戦的で新鮮でした。
このドラマの後。1・2年、ドラマに長い題名を付けるのが少しブームになったくらいです。
出演は、浅丘ルリ子・伊藤洋一・山崎努・原田芳雄・石立鉄男・桃井かおり。
そんな豪華メンバーでした。子連れの未亡人が元気に活躍するドラマでした。その脇をなんとあの山崎努と原田芳雄がスーパーを営む家の兄弟設定で出演です。原田芳雄が、ただの一般人の弟役を演じるということもだけでも相当に新鮮であったのですが、これがかなりコミカルなおバカ兄弟なのです。
弟役の原田芳雄が兄役の山崎努に言います。
「お兄ちゃんさー」
原田芳雄が、子供みないな言い方で「お兄ちゃん???」
面白いに決まってます。「お兄ちゃんさー」と呼ばれた山崎努はシリアスな役でしかお目にかかったことがない役者さんでしたので、このおバカ兄弟の微笑ましいやり取りを観るだけで、このドラマの価値がありました。
浅丘ルリ子は、映画1973年山田洋次監督『男はつらいよ』第11作~寅次郎忘れな草~でリリー役を演じたことで、新しい境地を開かれていたように思いますが、このドラマもその流れの一つかもしれません。
ドラマから少し話はそれますが、今思い返しても、中学校の時に観た浅丘ルリ子がマドンナを務めた「寅次郎、忘れな草」は素敵な映画でした。
そして言い忘れておりましたが、私は寅さんの大ファンであります。
小さい頃から、盆と正月には寅さんを楽しみに観てきました。当然寅さんのモノマネも得意です。自慢ですが、「さくら!」の一言で渥美さんと分かるくらいに上手くできます。
私にとって寅さんはある種ヒーローです。盆暮れに私たちの所にやって来て、お腹から笑わせてくれ、泣かせてくれる寅さんはヒーロー以外の何物でもありません。
本当にカッコいい大人を寅さんの中に見つけていたのだと思います。
粋で、見栄っ張りで、男気があって、お馬鹿で、おっちょこちょいで、人情が深くて、惚れっぽくて、旅が住処で、意外と家族想いで、家族には迷惑を変えるけど他人様には決して迷惑を掛けなくて、そして何よりも皆から愛されている寅さんになりたいと、本当に思っていました。
浅丘ルリ子さんは『男はつらいよ』でその後3回に渡り(50作目を入れると4回)マドンナを務めることになりますが、リリーの回だけは『男つらいよ』も少し違うムードの映画になります。
いつもはマドンナに好かれようと寅さんは躍起になり、奮闘しどんどんコミカルな寅さんになって行き、結局はどんなに頑張ろうと儚い恋に終わって行くのですが、リリーの回だけは違います。
最大の相違点は、リリーの前では、少し渡世人の寅さんの儘なのです。我々観客が見たことのない男車寅次郎が現れるのです。長年にわたり、テキヤとして生き抜いてきた彼の人生の裏には、色々な正念場やそれなりに修羅場もあったことでしょう。
しかし、いつも私たちが見ている寅さんは、愛される家族としての姿だけです。
テキヤとしての人生を渡って来た部分をリリーにだけは見せ、そんな寅さんを見る私たちはとてもドキドキしてしまうのでした。
何より違うのは、リリーは寅さんが「男として好き」と言うところです。
いつもの人として愛され、男として振られていく寅さんではなく、裏も表もある男車寅次郎を見られる、ちょっとキュンとした特別な回になる訳です。
81年以降は、大学に入り映研的なサークルに入ったこともあり、毎回は映画館に行くことななくなったのですが、全50作中25作までは全てしっかり観ております。その後もテレビなどでは殆どを観ている筈です。
およそ40年前、浪人時代のとある日、港図書館で映画『若者たち』を監督を囲んで観る会というのをやっておりました。(会の正式な名前は忘れました)
図書館の視聴覚室で約7・80人が集まって鑑賞し鑑賞後監督に質疑応答するような、『若者たち』のファンが集まるイベントでありました。
無料でしたので、どうな映画だろうと思ってその会に参加してその映画を観て、監督を囲む懇談会が始まりました。
その映画は、60年代中盤の学生紛争真っただ中の若者像を描いた、田中邦衛・山本学などが出演しているテレビドラマの映画化という形で出来た作品の様でした。映画自体も60年代の白黒であったと記憶しています。
「若者たち」という歌は知っていましたが、このドラマの主題歌ということは知りませんでした。
映画自体は罪のない可も不可もない、その時代の人たちが懐かしめば良いのではないかというようなものでありました。
脚本・画角どれをとってもとてもテレビ的なものだったと思います。
映画が終わり大拍手の中、監督とインタビューアーが現れまたまた大拍手です。
もちろん私も拍手で迎えました。
監督とインタビューアーがスクリーン前の中央に座り、時代背景やら映画についてなどを話し終え、質疑応答の時間となりました。
団塊の世代と思しきファンの方たちは、当然私より10歳以上年上の方々です。
幾つかの質問、いくつかの応答が終えた後で、私の右後方の人が
「はい!」
といって挙手した模様です。
インタビューアーの人がそちらを指して
「どうぞ、そちらの方」
まだ終わらないのかなーと思っている頃でしたので、そちらを振り返ると
「何々と申します。テレビドラマからのファンです。」
そんな感じで話し始めました。
私は「やれやれ、まだまだ終わらんぞーこれは、、、」
と思いながら続きを待っていると
「いやー素晴らしい作品です!寅さん映画なんかと全然違って、やはり映画はこういう挑戦的なものでないといけないと思うんです。予定調和の寅さんの様な映画があんなにだらだらと続くなら、若者たちをやって欲しいくらいですよ。」
シラーっとそんなことをぬかしやがりました。
それに対しは拍手がちらほら、、、、
それを聞いていた監督は苦笑いしながら、ちょっと下を向いていたかもしれません。
我慢しようと思いました。ここはこの映画のバックグラウンドを持つ人たちの集まりですから。本当に我慢しようと思ったのですが、身体はそれに反して振り返り
「お前、馬鹿なこと言ってんじゃねーぞー!」
私はそう吉は叫んでいたのです。
「お前みたいな馬鹿に、寅さんの何が分かるってんだ!この映画を懐かしむのはいい。何で寅さんが引き合いに出されて、映画のえの字も分かんない様なあんたにそんなこと言われなきゃなんないんだ!寅さんに謝れ!!!」
そう叫んでいました。若気の至りです。
当然場内は騒めきました。最悪のムードです。しかし私の口は止まりませんでした。
「毎年の盆暮れ、お年寄りや子供が寅さんをどれだけ楽しみしているのか、あんたには分かるか!?あー!?、「また元気に寅さんが見られた。相変わらず寅さんは面白いねー」そんな事を言いながらお年寄りは映画館を楽しそうに出て来るんだよ。予定調和が何だってんだ。毎回面白い予定調和を作る努力について考えたことがあるのか!?あんたは!」
言われた相手は、それこそ口を開けてあんぐりです。
私は立て板に水の様にまくし立てて、それこそ椅子を蹴って退場しました。その時目に入った監督は少し俯き加減であったと思います。
まだまだ、この映画を腐する言葉は次々と頭に浮かんでいましたが、他の人たちや監督には何の罪もありません。
思いっきり不穏なざわつきの中、私は憮然とした態度でスタスタと退場しました。
退場しながら、ちょっと反省しましたが、
「まて、この野郎!」
その人のその言葉に
「人の悪口は場所を選べ!寅さんはいい映画だ!!!」
とまた興奮して言葉を吐き捨てて出てきました。
その後の会場の雰囲気がどうなったかは分かりません。売り言葉に買い言葉の様になってしまい、やらかしてしまいまいました。本当に申し訳なく思っております。
しかし、同じようなシーンがもし再び訪れたとしたら、恐らく同じ結果になると思われます。愛するものを侮辱されたときには、我慢が出来ないのが人というものではないでしょうか!?
私だけでしょうか、、、、?
つまり、私はこれくらい寅さんの大ファンなのです。
寅さんの旅の中で描かれる風景の絵はいつもとてもノスタルジックで、綺麗です。それぞれの演者さんたちの台詞もカメラの寄り方も、とても日本人らしい心持にさせてくれます。人物との距離の取り方に映画らしいところが多々あります。同じテレビドラマの映画化から始まった『男はつらいよ』ですが、ドンドン映画らしくなって行ったのだと思います。
渥美清さんも96年にお亡くなりになりました。
お亡くなりになられた直後の追悼番組の終わりで、満男が夜の商店街を泣きながらフラフラ歩いています。実は、辛くてその番組を見られずにいたのですが、最後にそこにチャンネルを合わせてしまったのです。
私はそのシーンを観た刹那、自分でも不思議なほど涙が溢れてきました。呼吸も乱れ、声も漏れ嗚咽の様になり、暫くどうにもならないくらい悲しくなりました。
家族に見られないで良かったです。自分でも驚くほど寅さんのことを愛しているようです。映像は本当に凄い力を持っているのですね。登場人物なのか映画そのものなのか、役者さんに対してなのかは分かりません。しかし、心の家族になるような映像や役者さんは本当にいるのです。特に寅さんの様に何十年も見続けてきたような作品は、自分の歴史とリンクし記憶の中で融合してしまうのかも知れません。
「角は一流デパートの赤木屋、白木屋、黒木屋さんで紅白粉つけたお姉ちゃんにください、ちょうだいで頂きますと五千は六千、六千は七千、七千は八千は下らないこの代物。しかし、それだけくださいとは言わない、、、、
けっこう毛だらけ猫灰だらけ、お尻のまわりはクソだらけ。見上げたもんだよ屋根屋のフンドシ、、、、
四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、
粋な姐ちゃん立ちションベン、、、、」
寅さんを思い出すといつも、懐かしい寅さんの口上の声が頭の中で聞こえてきます。
そんな訳で、私にとって浅丘ルリ子という役者さんは、寅さんを魅せてくれるちょっと特別な存在でした。その人がドラマに出てくれることも嬉しかったに違いありません。
自分で選んでみるという意味においては全てそうかも知れませんが、話題作ではなく自分が自分としてこのドラマが観たい!と思った第一作はこのドラマだったかも知れません。
今回は、ついつい寅さん話で熱くなってしまいました。
次回お話は、70年代から80年代のドラマへとなっていきます。
~つづく~
『二丁目の未亡人は、やせダンプと言われる凄い子連れママ』1976年
こんな長い題名のドラマはこれが初めてでしたので、それだけでも話題になりました。その長い題名だけで、どこか挑戦的で新鮮でした。
このドラマの後。1・2年、ドラマに長い題名を付けるのが少しブームになったくらいです。
出演は、浅丘ルリ子・伊藤洋一・山崎努・原田芳雄・石立鉄男・桃井かおり。
そんな豪華メンバーでした。子連れの未亡人が元気に活躍するドラマでした。その脇をなんとあの山崎努と原田芳雄がスーパーを営む家の兄弟設定で出演です。原田芳雄が、ただの一般人の弟役を演じるということもだけでも相当に新鮮であったのですが、これがかなりコミカルなおバカ兄弟なのです。
弟役の原田芳雄が兄役の山崎努に言います。
「お兄ちゃんさー」
原田芳雄が、子供みないな言い方で「お兄ちゃん???」
面白いに決まってます。「お兄ちゃんさー」と呼ばれた山崎努はシリアスな役でしかお目にかかったことがない役者さんでしたので、このおバカ兄弟の微笑ましいやり取りを観るだけで、このドラマの価値がありました。
浅丘ルリ子は、映画1973年山田洋次監督『男はつらいよ』第11作~寅次郎忘れな草~でリリー役を演じたことで、新しい境地を開かれていたように思いますが、このドラマもその流れの一つかもしれません。
ドラマから少し話はそれますが、今思い返しても、中学校の時に観た浅丘ルリ子がマドンナを務めた「寅次郎、忘れな草」は素敵な映画でした。
そして言い忘れておりましたが、私は寅さんの大ファンであります。
小さい頃から、盆と正月には寅さんを楽しみに観てきました。当然寅さんのモノマネも得意です。自慢ですが、「さくら!」の一言で渥美さんと分かるくらいに上手くできます。
私にとって寅さんはある種ヒーローです。盆暮れに私たちの所にやって来て、お腹から笑わせてくれ、泣かせてくれる寅さんはヒーロー以外の何物でもありません。
本当にカッコいい大人を寅さんの中に見つけていたのだと思います。
粋で、見栄っ張りで、男気があって、お馬鹿で、おっちょこちょいで、人情が深くて、惚れっぽくて、旅が住処で、意外と家族想いで、家族には迷惑を変えるけど他人様には決して迷惑を掛けなくて、そして何よりも皆から愛されている寅さんになりたいと、本当に思っていました。
浅丘ルリ子さんは『男はつらいよ』でその後3回に渡り(50作目を入れると4回)マドンナを務めることになりますが、リリーの回だけは『男つらいよ』も少し違うムードの映画になります。
いつもはマドンナに好かれようと寅さんは躍起になり、奮闘しどんどんコミカルな寅さんになって行き、結局はどんなに頑張ろうと儚い恋に終わって行くのですが、リリーの回だけは違います。
最大の相違点は、リリーの前では、少し渡世人の寅さんの儘なのです。我々観客が見たことのない男車寅次郎が現れるのです。長年にわたり、テキヤとして生き抜いてきた彼の人生の裏には、色々な正念場やそれなりに修羅場もあったことでしょう。
しかし、いつも私たちが見ている寅さんは、愛される家族としての姿だけです。
テキヤとしての人生を渡って来た部分をリリーにだけは見せ、そんな寅さんを見る私たちはとてもドキドキしてしまうのでした。
何より違うのは、リリーは寅さんが「男として好き」と言うところです。
いつもの人として愛され、男として振られていく寅さんではなく、裏も表もある男車寅次郎を見られる、ちょっとキュンとした特別な回になる訳です。
81年以降は、大学に入り映研的なサークルに入ったこともあり、毎回は映画館に行くことななくなったのですが、全50作中25作までは全てしっかり観ております。その後もテレビなどでは殆どを観ている筈です。
およそ40年前、浪人時代のとある日、港図書館で映画『若者たち』を監督を囲んで観る会というのをやっておりました。(会の正式な名前は忘れました)
図書館の視聴覚室で約7・80人が集まって鑑賞し鑑賞後監督に質疑応答するような、『若者たち』のファンが集まるイベントでありました。
無料でしたので、どうな映画だろうと思ってその会に参加してその映画を観て、監督を囲む懇談会が始まりました。
その映画は、60年代中盤の学生紛争真っただ中の若者像を描いた、田中邦衛・山本学などが出演しているテレビドラマの映画化という形で出来た作品の様でした。映画自体も60年代の白黒であったと記憶しています。
「若者たち」という歌は知っていましたが、このドラマの主題歌ということは知りませんでした。
映画自体は罪のない可も不可もない、その時代の人たちが懐かしめば良いのではないかというようなものでありました。
脚本・画角どれをとってもとてもテレビ的なものだったと思います。
映画が終わり大拍手の中、監督とインタビューアーが現れまたまた大拍手です。
もちろん私も拍手で迎えました。
監督とインタビューアーがスクリーン前の中央に座り、時代背景やら映画についてなどを話し終え、質疑応答の時間となりました。
団塊の世代と思しきファンの方たちは、当然私より10歳以上年上の方々です。
幾つかの質問、いくつかの応答が終えた後で、私の右後方の人が
「はい!」
といって挙手した模様です。
インタビューアーの人がそちらを指して
「どうぞ、そちらの方」
まだ終わらないのかなーと思っている頃でしたので、そちらを振り返ると
「何々と申します。テレビドラマからのファンです。」
そんな感じで話し始めました。
私は「やれやれ、まだまだ終わらんぞーこれは、、、」
と思いながら続きを待っていると
「いやー素晴らしい作品です!寅さん映画なんかと全然違って、やはり映画はこういう挑戦的なものでないといけないと思うんです。予定調和の寅さんの様な映画があんなにだらだらと続くなら、若者たちをやって欲しいくらいですよ。」
シラーっとそんなことをぬかしやがりました。
それに対しは拍手がちらほら、、、、
それを聞いていた監督は苦笑いしながら、ちょっと下を向いていたかもしれません。
我慢しようと思いました。ここはこの映画のバックグラウンドを持つ人たちの集まりですから。本当に我慢しようと思ったのですが、身体はそれに反して振り返り
「お前、馬鹿なこと言ってんじゃねーぞー!」
私はそう吉は叫んでいたのです。
「お前みたいな馬鹿に、寅さんの何が分かるってんだ!この映画を懐かしむのはいい。何で寅さんが引き合いに出されて、映画のえの字も分かんない様なあんたにそんなこと言われなきゃなんないんだ!寅さんに謝れ!!!」
そう叫んでいました。若気の至りです。
当然場内は騒めきました。最悪のムードです。しかし私の口は止まりませんでした。
「毎年の盆暮れ、お年寄りや子供が寅さんをどれだけ楽しみしているのか、あんたには分かるか!?あー!?、「また元気に寅さんが見られた。相変わらず寅さんは面白いねー」そんな事を言いながらお年寄りは映画館を楽しそうに出て来るんだよ。予定調和が何だってんだ。毎回面白い予定調和を作る努力について考えたことがあるのか!?あんたは!」
言われた相手は、それこそ口を開けてあんぐりです。
私は立て板に水の様にまくし立てて、それこそ椅子を蹴って退場しました。その時目に入った監督は少し俯き加減であったと思います。
まだまだ、この映画を腐する言葉は次々と頭に浮かんでいましたが、他の人たちや監督には何の罪もありません。
思いっきり不穏なざわつきの中、私は憮然とした態度でスタスタと退場しました。
退場しながら、ちょっと反省しましたが、
「まて、この野郎!」
その人のその言葉に
「人の悪口は場所を選べ!寅さんはいい映画だ!!!」
とまた興奮して言葉を吐き捨てて出てきました。
その後の会場の雰囲気がどうなったかは分かりません。売り言葉に買い言葉の様になってしまい、やらかしてしまいまいました。本当に申し訳なく思っております。
しかし、同じようなシーンがもし再び訪れたとしたら、恐らく同じ結果になると思われます。愛するものを侮辱されたときには、我慢が出来ないのが人というものではないでしょうか!?
私だけでしょうか、、、、?
つまり、私はこれくらい寅さんの大ファンなのです。
寅さんの旅の中で描かれる風景の絵はいつもとてもノスタルジックで、綺麗です。それぞれの演者さんたちの台詞もカメラの寄り方も、とても日本人らしい心持にさせてくれます。人物との距離の取り方に映画らしいところが多々あります。同じテレビドラマの映画化から始まった『男はつらいよ』ですが、ドンドン映画らしくなって行ったのだと思います。
渥美清さんも96年にお亡くなりになりました。
お亡くなりになられた直後の追悼番組の終わりで、満男が夜の商店街を泣きながらフラフラ歩いています。実は、辛くてその番組を見られずにいたのですが、最後にそこにチャンネルを合わせてしまったのです。
私はそのシーンを観た刹那、自分でも不思議なほど涙が溢れてきました。呼吸も乱れ、声も漏れ嗚咽の様になり、暫くどうにもならないくらい悲しくなりました。
家族に見られないで良かったです。自分でも驚くほど寅さんのことを愛しているようです。映像は本当に凄い力を持っているのですね。登場人物なのか映画そのものなのか、役者さんに対してなのかは分かりません。しかし、心の家族になるような映像や役者さんは本当にいるのです。特に寅さんの様に何十年も見続けてきたような作品は、自分の歴史とリンクし記憶の中で融合してしまうのかも知れません。
「角は一流デパートの赤木屋、白木屋、黒木屋さんで紅白粉つけたお姉ちゃんにください、ちょうだいで頂きますと五千は六千、六千は七千、七千は八千は下らないこの代物。しかし、それだけくださいとは言わない、、、、
けっこう毛だらけ猫灰だらけ、お尻のまわりはクソだらけ。見上げたもんだよ屋根屋のフンドシ、、、、
四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、
粋な姐ちゃん立ちションベン、、、、」
寅さんを思い出すといつも、懐かしい寅さんの口上の声が頭の中で聞こえてきます。
そんな訳で、私にとって浅丘ルリ子という役者さんは、寅さんを魅せてくれるちょっと特別な存在でした。その人がドラマに出てくれることも嬉しかったに違いありません。
自分で選んでみるという意味においては全てそうかも知れませんが、話題作ではなく自分が自分としてこのドラマが観たい!と思った第一作はこのドラマだったかも知れません。
今回は、ついつい寅さん話で熱くなってしまいました。
次回お話は、70年代から80年代のドラマへとなっていきます。
~つづく~
コメント
コメントを投稿