「私の好きなモノそして人。」~テレビドラマって観ますか?~VOL.4「傷だらけの天使、寺内貫太郎一家。時代が動いてる!」
これはどうやら「寺内貫太郎一家」と同年であったようです。
「寺内貫太郎一家」は1970年に始まったヒット作品「時間ですよ」と同じ形式の久世光彦が手掛けるファミリーコメディーで、脚本は向田邦子の型破りで本当に盛りだくさんの楽しさで紡ぎだされたドラマでありました。ドタバタでありながら、寺内家やその周辺の人々に起こった他愛もない小さな事件やちょっと深い蟠りを、人と人とが真正面からぶつかり合ったり労わり合ったりしながら最後は泣かせる。そんなドラマでした。
出演は、小林亜星、加藤治子、西城秀樹、浅田美代子、伴順三郎、由利徹、悠木千帆(樹木希林)そして、たこ八郎の面々でした。濃いですねー!
主役が役者ではない作曲家の小林亜星と言うこと自体が型破りで実験的だったと思います。
現代のコンプライアンス云々の重要な時代には到底作り得ないような内容も多く含まれており、この時代ならではのドラマだったと思います。
前身である「時間ですよ」は風呂屋を舞台に、森光子演じる風呂屋のおかみさんを中心に堺正章が大活躍するドラマでしたが、お風呂場シーンが良く出てきたりするので、まだ小学生のわたしに見せることは親が憚って見せて貰えませんでした。
これも初めて観たのが再放送でした。
勿論このドラマも現代には存在しえない内容であることは言うまでもありません。
自由な時代でしたねー!
この時代くらいから、演者だけでなくプロデューサーの名前とか、脚本家の名前とかが割と前面に出て来るようになってきたと思います。
実は、私は「傷だらけの天使」を本当のオンタイムでは観ていません。受験の10月から半年の放映であった為、受験生であった私はその放映を親に見せて貰えず、翌年高校に入ってから再放送で観たのでした。
ですので、私の中では高校生になったばかりの記憶となって残っています。
ホームドラマとは一線を画す全く別の映画仕立ての様なドラマが、
「傷だらけの天使」
でした。
70年代に入ると、娯楽の中心であった映画はその座をテレビに奪われ、大手映画会社の新人の映画監督の採用枠もなくなり、才能ある監督たちが仕事の場として、テレビに流れざるを得なかったことも大きな要因であったことも事実です。
「傷だらけの天使」では実際に深作欣二、恩地日出夫、神代辰巳、工藤栄一などの錚々たる面々が監督として名を連ねています。
そんな事情もあり、映画でしかありえなかったような撮り方、演出、脚本、そしてヒーローが登場しました。
新しいドラマシーンの始まりです。
先ずはオープニングの絵が物凄くカッコ良かったのです。
井上堯之バンドの演奏するテーマ曲がその映像と絶妙にマッチし、ショーケンのファッションも物凄く斬新でカッコよく、トマトを齧り、便の牛乳の蓋を口で開けるのもイカシテました。
白いTシャツの似合う男になりたいと真剣に思いました。
このドラマは、私たち若者に等身大のヒーローの情けないけどカッコイイという新しい感覚と、ファッション的なカッコ良さと、ライフスタイル的な斬新さを強烈なインパクトを持って与えてくれました。(BIGIの服、カッコ良かったです。)
それまで、強いモノに弱いヒーローなんていませんでしたし、狡いヒーローなんている訳がありません。
ショーケン演じる修ちゃんは、強いモノには弱く、狡く、せこく、愚痴ばっかり言う。
でも、どこかで義理を大切にし、恩義を忘れず、子供好きで、誠実、曲げられないと思ったら相手かまわず挑んで行くのです。
水谷豊演じるあきらとの子弟とも仲間ともつかない関係性も、水谷豊の名演技も忘れられません。
脇には、岸田今日子、岸田森の万全な体制。どの登場人物もみんな魅力的でした。
兎にも角にも修ちゃんは、物凄く強くなければヒーローになれないと思っていた私たちに、希望を与えてくれたような気がします。
まあ、当時のショーケンは実際カッコ良かったのですが。
一方、時を同じくして、日本の音楽シーンにも大きな波がやって来ていました。
日本の音楽シーンに大きな石を投げ込んだ二人、荒井由美、山下達郎の登場です。
勿論、大瀧詠一のナイヤガラの面々やサディスティックス、ティンパンアレーの存在もありましたが、この二人は別格です。
それまでの、日本の音楽にはあまりなかった、9thコードなんかに託した複雑な感情表現などもが入って来ました。そして、リズムも8ビートを刻んでいたのではとっても歌えない曲なんかも。
ビーチボーイズ、キャロル・キング、スタイリスティックス、アースの世界を日本人が作れるようになったのです。そのリズムも含めて。
そういった、変革期と言うのは大きな空気の流れの様に同じ渦となって、時代に吹くものなのでしょうか、同時期に変革は起こりました。
それは日本に出来上がった既存の絶対的なものに対するアンチテーゼでもあり、それを踏まえた上での進化でもあったのだと思います。
それは日本に出来上がった既存の絶対的なものに対するアンチテーゼでもあり、それを踏まえた上での進化でもあったのだと思います。
戦後30年、マイナスからスタートした日本に平和が定着し、平和が当たり前となり、自民党が独占する所謂大勢が出来上がりました。つまり、カウンターの対象となりうる確固たる存在や既成概念が出来上がったのではないかとも思います。
平和でなければ文化は育ちません。平和だからこそ、人間らしい「自分である事」のようなものの大事さを思えるのだと思います。
いつも命が危険にさらされていたり、食べるものがなかったりする状況では、食べる事、身を守る事意外に何も出来ないのですから。
学生運動、安保闘争と言った戦いは、安定政権に対するアンチテーゼ的な部分を大きくはらんでいるのだと思います。
人としての戦いなのだと思います。そのこと自体が、戦時下でないことを示しているのではないでしょうか。
日本の文化で、世界的に最も認められリスペクトを受けている文化を有した時代は、元禄・文化文政の頃であると思っています。
文学、美術、演劇、全ての文化という視点で、素晴らしいものが出来上がってきた時代だと思います。
近松門左衛門・井原西鶴・葛飾北斎・歌川広重、喜多川歌麿と言った人たちが一斉に出てきたのですから。
戦国の世が終わって、徳川幕府が統治する絶対的な時代となり、絶対的権力下の平和な時代に、それぞれの文化が同じ時の流れの中芽吹き、育ち、熟成していき、日本が世界に誇れる文化を築き上げたのです。
温帯に位置する日本という立地で、我々日本人は幸運にも四季に恵まれ、花鳥風月をめでることが出来るという最も人間らしい文化は脈々と時代を受け継ぎ、流れ、その流れがある種結実した時代のように感じています。
もしかすると、戦後30年、絶対的権力化に平和が定着してきた我々の時代と似ているのかも知れません。
当たり前の話ですが、平和というものは本当に大切なものですね。
話が大げさになりました。
そんなこんなで、とてもワクワクする時代が1970年代中盤の日本に訪れたのでした。
~つづく~
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