「私の好きなモノそして人。」~テレビドラマって観ますか?~VOL.7「1960年代から70年代初頭の子供番組総ざらい」


ご紹介した他にも、記憶に残る1960年代から70年代前半には、素敵な心躍る子供向けドラマやテレビ漫画が沢山ありました。
全て割と熱心に観ていた作品です。敬意を払ってご紹介させて頂きます。

子供ドラマでは 
『ひょっりひょうたん島』1961年~1966年 「なーみをチャプチャプチャプチプ乗り超えて~、」もしかすると歌は純粋な歌として、上手く歌いたいと思った初めての曲がこの曲だったかも知れません。素敵な歌です。
人形劇ですが、人形劇を観ているという感覚はあまり無く、いやこの頃人形劇というものが、特別なものではなかったのかも知れません。NHKのドラマですが、この頃これを観ていない子供はいなかったのではないかと思います。
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『チャコちゃん』シリーズ 19661968年。子供が主役のホームドラマでした。もっと長い間見ていた気がしますが、小さい子供の時間軸は大人のそれとは全く違いますから、5年間くらいは充分見ていた気になっていました。
その後、ケンちゃんシリーズに繫がって行きます。
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『仮面の忍者赤影』1967年 主人公赤影は横分けチックでした。青影の「だいじょーぶ」と拳から親指を鼻に当てそして掌外側に開くような仕草がちょっと流行りました。
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『柔道一直線』1969年 実写スポコンヒーローの先駆け的作品です。主人公の桜木健一が布団に包まって、「地獄車」という技の為に神社の階段を転げ落ちる練習をしていたのが懐かしいですねー!そしてなんと言っても、近藤正臣が役中で、ヒョイとピアノの鍵盤に飛び乗って、足でピアノを弾く姿が話題を呼びました。
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『サインはV1969年(TBS) 女子版、実写スポコンものの第一号だと思います。東洋の魔女と言われた、日本女子バレーボール人気は多分まだ続いていたのだと思います。
エックス攻撃、稲妻サーブなどの必殺技などなど、男の子にも充分楽しめたお話でした。
私は、主人公の岡田可愛演じる浅丘ユミより、范文雀演じるジュン・サンダースが好きでした。
テレビ漫画になりますが全く同時期に、違う局(フジテレビ系)では
『アタックNO.11969年が始まりましたが、これは純粋なスポコンで魔球的必殺技などはなかったと思います。男子の私にはあまり「グッ」とは来なかったのだと思いますが、内毎回欠かさず見ていたのに主題歌以外は殆ど覚えていません。申し訳ない。
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『バンパイヤー』1969年 手塚治虫原作のドラマです。水谷豊が子役で登場していたことで有名です。実写と漫画動画とが入り混じった、不思議なドラマでした。主人公が月夜に感情が高ぶるとオオカミに変身してしまうということをベースにしていたと記憶しています。
やはり手塚作品は、私には少し難しく、記憶は曖昧です。
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『金メダルへのターン』1970年 トビウオターンというこれは反則?ではないかと思われるターンが、必殺技!当時のスポコンには必ず必殺技がありました。
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『美しきチャレンジャー』1971年 これは、今では考えにくいですが、ボーリングを舞台にしたスポコンものです。当時ボーリングは大ブームで、中山律子さんという、美人で大人気のプロボーラーが居ました。進藤恵美が主役でしたね。
ビッグフォーを取る技が凄かった!
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テレビ漫画
『ジャングル大帝』1965年 言わずと知れた、手塚治の大作。高尚過ぎて、どこか夢中にはなれませんでした。YouTubeで見てみると、カラーだったのですね。
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『おばけのQ太郎』1967年 藤子不二雄原作。Qちゃんの中身が見たかったです。ネコ???

『ハリスの旋風』1967年 ちばてつや原作 これもちょっとお兄ちゃん漫画でした。喧嘩が強い人になろうと思いました。
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『黄金バット』1967年 何故か黄金のドクロがヒーローです。もともと原作は1930年と旧いモノであった様です。不気味な笑い声が最高!いつも真似をしていました。
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『巨人の星』1968年 川崎のぼる(画)、梶原一騎(作) この漫画が、男の子たちを野球に誘いました。所謂スポコンものの原点ともいえる作品ですよね。
大リーグボール、1、2、3号。飛雄馬、大変だった―!
そして、、仲間の伴忠太、ライバルの花形満、佐門豊作。ライバルという言葉を僕らにもたらしたのも『巨人の星』です。そして、恐ろしや、オズマ!
父子の人間ドラマをベースに、飛雄馬の人生を描いたテレビ漫画の名作でありました。

オーロラ3人娘の奈美さんと恋なんかもしましたねー!
I Love You I Love You Forever More私は当時この詞を聞くと何だか可笑しくなってしまいました。
「アイラビュー、アイラビュー、惚ればモー」って!それにこのメロディーって!
そう思っていたのです。
なんとお恥ずかしい!結構長い間そう思い込んでいて、よりによって何であんなしょうもない詞なんだろうと思って言いました。(笑)

いやいや、言いたいことはそういう感じではなくて、最終回の一徹がマウンドで動けなくなった飛雄馬を背負って球場を後にするシーンには本当に号泣しました。心に残る名作です。

『怪物くん』1968年 藤子不二雄原作。「フガフガ」しか言わないフランケンが可愛かったです!
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『パーマン』1968年、藤子・F・不二雄原作。スーパーマンではなくパーマン。題名だけでほのぼのが伝わって来ます。半人前のスーパーマン。冴えない小学生みつおが、ヘルメット、マント、バッジを着けるだけの変身が微笑ましい作品です。
時にパーマンをやっていることに疑問を感じたりしていました。エバンゲリオンのシンジ君の悩みの深さとは違いますが、みつおにも悩みはあったのです。
とても暖かい視点の作品だったと思います。想い出してもほのぼのします。
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『サイボーグ009』1968 、石ノ森章太郎原作。圧倒的にスタイリッシュな登場人物たち。サイボーグ001~009までそれぞれに違った魅力があり、私たちは皆が皆009だけのファンではなく、どこか自分に近いものを感じるメンバーを贔屓にしていたと思います。イカシテました。
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『ゲゲゲの鬼太郎』1968年 水木しげる原作。この頃の男の子たちは怖いモノ、妖怪、なんかが大好きでしたし、どこかで本当に居るのではないかと、怖くも思っていました。
今の子供たちはどうだか分かりませんが、当時の子供たちにとって自然(森、山、川、海、池)はとても身近で、そこに宿るものに対して、知らず知らずに感じ取っていた様なものがあった気がします。親世代から教わってきた、自然や天地に関わることに対する畏敬の念を、体感で味わっていたように思うのです。
今でも、私の中にその感覚はしっかりと残っています。
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『妖怪人間ベム』1969年。人間の実験によって生まれた可哀そうな3人の妖怪人間。果たして彼らを妖怪人間と呼んで良いのだろうか。そんなことも作品テーマとしてあるような気がします。
人が決して侵してはいけない神の領域についてのお話でした。現代のクローン問題や遺伝子の組み換えの生物・植物の問題をあの時代に予知していたような物語でした。
毎週観ていましたが、毎週可哀そうで仕方なかったです。
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『佐武と市捕物控』1969年、石ノ森章太郎原作。これは割と遅い時間にやっていた大人向けの劇画タッチのテレビ漫画でした。下っ引きの佐武と盲目のあんまの市。こんな二人の活躍する捕物帳でした。今思えば制作予算や止むを得ない事情でそうなったのかも知れませんが、迫力ある静止画が何とも大人っぽくて素敵でした。
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『もーれつア太郎』1970年、赤塚不二夫原作。この作品は、両親にあまり評判がよくなく、他の赤塚漫画は見せてくれたのですが、どう言う訳だか見ていてあまりいい顔をしていなかったのが、番組そのものより思い出深いです。
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『あしたのジョー』1970年、千葉てつや(画)高森朝雄(梶原一騎)(作)『巨人の星』との差別化を図るために、本名を使用したらしいです。
この漫画は、もう子供のための漫画という枠には収まらない、大人も巻き込んだ大ヒットとなりました。
矢吹ジョー、最高にカッコ良かったですねー!そして力石も!


少年院のリングで、人差し指を天に突き上げた力石は最高にイカシテました!

全く違うのですが、『明日のジョー』と『傷だらけの天使』はどこか匂いが似ている気がしてなりません。ヒーローの孤独感がそう思わせるのでしょうか?それとも物語に漂う饐えた匂いのせいなのでしょうか?

ジョーのせせら笑い「へへっ」これがまた決め台詞の様にカッコ良かったです。
やせ我慢の様であり、虚勢を張ったようでもあり、根性を感じる自分を勇気づける様な感じの時もあり、本当に奥の深い「へへっ」でした。
それは、声優のあおい輝彦との声の相性が素晴らしく、これ以上ない嵌り役だったこともその奥深さに貢献していると思います。

ある回で、誰かが丹下ジムのオープンに葬式用の黒い花輪を送ったのですが、誰がやったんだ?!なんていうことが我が家で話題になり、うちの父は
「力石はそんなケチなことをやる男じゃない!」
なんていう発言までしていました。結局は力石の仕業だったのですが、うちの父も結構のめり込んでいますよね!?(笑)でも父が言う通り、あれは脚本的に失敗だったのではないかと今でも思っています。
「力石はそんなケチな男じゃない!」

このテレビ漫画は、軽く触れるだけでは言い尽くせない作品ですので、いつかしっかり書いてみたいと思います。
それにしてもこの時代の梶原一騎は凄いですよね!

そして、この作品から、カラーであったことをはっきり記憶しています。
恐らく世間の流れに乗って、この年に行われた大阪万博を期に、我が家に初めてカラーテレビがやって来たんだと思います。家具調カラーテレビの登場です。

『ハクション大魔王』1970年。「アーラビン土瓶禿茶瓶、かんちゃん困るでごじゃるよ~!」大平徹さん最高です。今でもこの物まねは、私の十八番です。
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『タイガーマスク』1971年梶原一騎(作)辻なおき(画)。
孤児院出身の伊達直樹が、虎の穴という悪役プロレスの秘密結社に入り、悪役としてデビューするも、自分のいた孤児院の子供たちの為に、虎の穴を裏切って反則をしない正義のプロレスラーとして生きる話でした。虎の穴から次々と送り込まれるタイガーマスクへの刺客との対戦を描いていきます。
随所で反則を使えば難なく勝てるシーンで、つい使いそうになるのですが、それを抑えて苦しみながら勝ち抜いていく物語でした。
最終回の一回前にタイガー・ザ・グレートという虎の穴の総帥との戦いで、とうとうタイガーはそのマスクを剥がされてしまいます。そして、グレートが振りかざした割れた机の端がタイガーのマスクをリングに突き刺したシーンで最終回を迎えます。
そして最終回、そこからのタイガーの強さは凄かった!
反則技も厭わないタイガーはこんなに強かったんだ!と心が熱くなりました。ずっと我慢して、耐えて堪えてやって来たんだなーと、子供心ながら胸が詰まったのを覚えています。
そして、子供達の為に封印してきた反則技を使ってしまった事で、子供たちの信頼をうしなってしまっただろうことに悩む伊達直人に、男の子たちは誰もが
「そんなことないよ!」
と言っていたことでしょう。

それにしても、梶原一騎はどれだけ男の子を魅了したら気が済むのでしょう?

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因みに、テレビ漫画と漫画ではこんなに絵が違うことも話題でした。
テレビの方がカッコイイ!!!

まだまだ、ここに書ききれない作品が多くありましたが、1960年代と70年代の子供向けテレビ漫画、ドラマにつきましてはここまでにしたいと思います。

再び、70年代のドラマに戻りたいと思います。



~つづく~

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