「私の好きなモノそして人。」~テレビドラマって観ますか?~VOL.5「1970年代中盤は面白かった!」


1970年代中盤には、本当に多くの名作がありました。

脚本:倉本聰、市川森一、金子成人、高階有吉ほか
出演:萩原健一、梅宮辰夫、田中絹代、北林谷栄、丘みつ子、桃井かおり、坂口良子、小松政夫、室田日出男、川谷拓三、大滝秀治ほか
脚本:鎌田敏夫 ほか
出演:中村雅俊、津坂まさあき、田中健、森川正太、岡田奈々、八千草薫、金沢碧 ほか
脚本:山田太一
出演:鶴田浩二、水谷豊、森田健作、桃井かおり ほか
脚本:山田太一
出演:八千草薫、中田喜子、国広富之、竹脇無我、杉浦直樹 ほか

こんなドラマが70年代中盤に放映されました。

『前略おふくろ様』倉本聰という脚本家がいるということを私達に確実に認識させた作品でした。その他にも、市川森一金子成人が脚本に名を連ねていることを改めて知りました。

そして、この『前略おふくろ様』は『傷だらけの天使』が終わって程なく、萩原健一が主演を務めた作品であり、これが今までに見たことのない秀逸なドラマでありました。

(この頃から、フィルムドラマの本数はグッと減ってきたように思います。青春ドラマと刑事ドラマ、戦隊モ以外はビデオドラマになって行った気がします。)

萩原健一は、『傷だらけの天使』の修ちゃんとは全く違う魅力を持った真面目で一本気な青年片島三郎(サブちゃん)で、またしても私たちを魅了してくれました。
余談ですが、北島三郎を捩った役名で、料亭の板前感を出している遊び心が、もうすでに少し面白いじゃないですか。倉本さん、流石です。

前作であれだけしゃべり倒すキャラクターを演じながから、今度は真逆の朴訥で無口な山形出身の青年を演じたショーケンの、少ない台詞ながらも行間を伝える様な表情や仕草が抜群に素晴らしかったですし、間合いを愉しむ脚本と演出がとても新鮮でした。
勿論それを演ずる役者さんたちの演技力あってのものですが、、、。

ショーケンの台詞の多くは、

「はい。」

という返事。そして決まって返事の後、すぐに行動に移しました。その時の背筋の伸び方が良かった!

断りたいけど断れないときは

「あ、いやー、、、」

と言って、暫し口を横に開き苦笑いしながら沈黙します。相手がその間に乗じて畳みかけ、最後には、下を向きながら

「あ、、、は、はい」

ショーケンの台詞は大体がこんな短い台詞で、状況に応じた表情や間で感情を演じ切るのです。凄い演技力です。

自分の想いを表す手法はサブちゃん本人の語りが使われました。少し小さめのそれでも感情を抑えた言い方で、必ずこの言い回しから始まります。

「戦略おふくろ様、、、」

おふくろ様に手紙を書くように。
そして内容の大半は日々溜まった愚痴でした。こんな感じの。

「今日の海ちゃんのあれはない訳で、、、実際、、、あれは困ります。」

言葉少ないサブちゃんの感情を、こうやって手紙を書く様な心の声で伝えます。
皆が、この真似をしました。したくなりました。

もう一つ面白かったのが、今まで見た事のない役者さんがレギュラーで素敵な演技を見せてくれたことです。
東映の大部屋出身の役者さん川谷拓三、室田日出男の二人は、実際見たことがありませんでした。
視聴者から、本物のやくざを出すのは如何なものか!?みたいな投書もあったようです。
この二人はヤクザ役ではなく、鳶の役だったのですが。
皆さん、短い台詞を行間タップリに、間合いの素晴らしい素敵な演技をされておられました。

登場人物一人一人に、今見ているその人と、過去の色々があり、それぞれに複雑でそれは大切な訳で、そしてそれぞれが素敵な訳です。

面白かったー!


そして、サブちゃんの語り「前略おふくろ様、、、」の時決まって流れているシーンは、山形の田舎と思われる大きな食堂の炊事場の様な所で働くおふくろ様の姿でした。
私の印象的なシーンは、陽が落ちて雪が舞う山形、炊事場の大きな窓に蛍光灯の光が灯り、誰もいない広い炊事場で一所懸命働くおふくろ様の姿です。。

この人に嘘は付けません。この人が育ててくれた自分にも。


『俺たちの旅』は、実は俺たちシリーズの第2作で、第一作は松田優作中村雅俊が主演をした俺たちの勲章』というドラマでした。


「太陽にほえろ」でGパン刑事が殉職後、松田優作主演の第一作であったと記憶しています。
この時代、もう一人のカッコイイ男は松田優作だったと思います。何しろ背がデカく規格外れな手足の長さは、私たち男子の憧れでした。トランザムが主題曲を演奏していました。
しかし、松田優作の真骨頂を堪能するのは『探偵物語』まで待たなければなりません。




俺たちシリーズでブレイクしたのは、『俺たちの旅』中村雅俊でした。この番組を押し上げたのは小椋佳作で中村雅俊が歌った主題歌、「俺たちの旅」と挿入歌の「ただお前がいい」であったと思います。

その時代の若者像を、鎌倉を舞台に描いたドラマでした。
下駄とGパンという中村雅俊の晩からなスタイルは、若者たちに大きく支持され、当時下駄を履いた大学生は随分いたと思います。
三流大学出身の破天荒で晩からで就職もしていない主人公カースケと、内気で堅実なオメダ、そして、カースケの小学校の先輩であるサラリーマングズ六、そして4浪生のワカメの4人が織り成す青春ドラマです。

当時若者たちの間では、自分探しの様な事が盛んに行われていた時代でありました。

「こんなことで良いのか?」「自分が本当にしたい事は何だ?」「会社員になってどうなるんだ?」「人生で本当に大切な事って何なんだ?」

こんな事が、この時代の若者のテーマとしてあったかもしれません。
少しデカダント的な若者風潮は、確実にありました。
そして、無気力という事に何の意味のない事も、斜に構えても仕方のない事だということも分かりながら、出口を探していたような時代でした。

こんなドラマを観ながら、街に流れる「シクラメンのかほり」(布施明:歌 作詞・曲:小椋佳「時の過ぎゆくままに」(沢田研二)「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(ダウンタウン・ブギウギバンド)「22才の別れ」(風)なんかを口ずさんでいたんだと思います。

そして音楽シーンに劇的な変化をもたらした二人のうちの一人荒井由実は、73年に発表した「ひこうき雲」で非凡な才能は認知を受け、75年のシングル、「あの日に帰りたい」の大ヒットによってその才能は日本中を駆け巡りました。

平成でいえば、宇多田ヒカルの様な衝撃だったかもしれません。

もう一人の山下達郎は、75年に大瀧詠一率いるナイヤガラレーベルから、SUGERBABEでのアルバムSONGS』を発表しました。即メジャーではありませんが、このアルバムには皆さんご存知の「今日はなんだか」DOWN TOWNなどが収録された素敵なアルバムです。

彼のブレイクまでには、あと数年の時間が必要でした。

ドラマでは、若者の混沌に焦点を当て、鶴田浩二というとても若者ドラマには似つかわしくない大御所を使って、その答えを出そうとしていました。

『男たちの旅路』です。




~つづく~

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