ガラス作家 木村俊江さんとの出会い

木村さんとの出会いは、今から8年前くらい前になると思います。

木村さんとの出会いを書く前に少々寄り道を。

私はミュージシャンの山下達郎さんの長年のファンであります。ファンという言葉が適切かどうか、どこか心の師匠的に思っています。
 今から40年以上も前、私も中学高校と下手糞なバンドをやっておりました。しかし、当時山下達郎さんという異次元の音楽センスを持った方が現れ、あまりの驚きと共に音楽への気持ちが萎んでいきました。
 「こんなすごい人が居るのなら、音楽なんてやっても仕方ない。」
そんなことを強く思ったのです。

高校2年の頃、友人の親父さんが作曲家をやっておられ、その方のご紹介で某レコード会社で演奏し、演奏と歌を聴いてもらうという出来事がありました。その時は、コテンパンに言われながらも、
「夏休み中このスタジオで練習しろ。歌は何とかなるかも知れない。」
そんなことを言って頂きながらも、当時生意気盛りでした私は、そのプロデューサーの方と言い合いをしてしまい、その話を流してしまったこととほぼ同時くらいのことでした。

そこから恐らく7・8年はほぼ山下達郎さんだけを聞いて、過ごしました。
ほかの音楽が耳に入らなかったのです。そして、その後私はもう一度山下達郎さんに人生を変えられました。

就職し、1年半経ったころです。友人に達郎さんのライブチケットを取って貰って見に行った時のことです。オープニングで恒例の「SPARKLE」という曲のギターの刻みのイントロがいきなり始まりました。
そして数秒間後、意味不明の涙が止まらなくなりました。
「なんで泣いてるの?」
本人も意味が分かりません。それは意味不明ではあるものの感動的な体験でした。
彼のライブは魂に溢れ、嘘がなく、素晴らしい技術でハイセンスな音を届けてくれたのです。しかも、いつも聴いているCDよりライブの方がグレードがさらに高いのです。

帰ってきてほぼ一週間、その涙の意味について考えました。
会社に入り仕事が出来るようになるまでは、まずは必死です。「社会人はこうあるべき。」仕事のできる先輩たちを見習いながら、必死でやっていく中で、ある意味「自分」を見失っていたのだと思います。自分でない自分で動いていたように思いました。
 
自分でない自分をやって一年半、僅か一年半でですが、それまで押さえつけ来た自分が返ってきたような、忘れていた大切な感情である、感動を取り戻した感じであったのです。
 
 そこから半年、私は会社を辞めることを決意しました。結婚して僅か4か月後のことでした。人にものを売るのであれば、自分が納得するもの、自分が確かに感じられるものを売っていきたいと思い始めた結論が転職です。

そして、株式会社ファッション須賀というhakkaグループの一員として30年を過ごすこととなりました。

そんな8年ほど前のある日、会社で流れているFMから、達郎さんらしき声が聞こえてきました。しかし、全く知らない曲です。「あれ、新曲出したのかなー?」なんて思いながら聞いておりました。「あれっ、なんか違う。あー違う人だ!」そう感じて曲終わりの紹介に聞き耳を立てていると、JUNK FUJIYAMAという人で「MORNING KISS」という曲でした。

それでも、長年のファンである私が、一瞬でも間違えるとは凄いことです。
 
その事を当時国内のSNSの主流であったミキシーに書いてアップしたところ、木村俊江さんという方からコメントが入り、それをきっかけにあれこれと話すようになりました。木村さんも達郎さんの熱狂的なファンで、話は盛り上がりました。
「いやー、ビックリしましたねー!!!似てましたねー!!でも何か嫌じゃないんですよねー。」なんて会話だったと思います。

そんなこんなで、JUNKファンというより達郎ファンというベースで時折話をする様になり、木村さんがガラス作家である事なんかも伺い
「そうなんですねー。どうしてガラス作家になったんですか?」
の問いに木村さんは(詳しくは覚えていませんが)どこかで見たステンドグラスの美しさに衝撃を受けて、これしかない!そう思ったそうです。
こんなやり取りをしていました。

そんなある日、木村さんがお持ちでないアルバムがあるという事だったのでCDに焼いて送って差し上げました。
そうしましたら、木村さんから柑橘系の果物にチョコレートをコーティングした手作りのお菓子と木村さんのガラス作品をお礼に送って頂いたのです。
その作品がとても面白く、「へー、こんな作品を作ってるんだ。」そう思いました。
その作品がこちらです。

そういった経緯の中、前職の会社でも雑貨部門(Madu)がありましたので、そちらに紹介しようと思い話を持って行きますと、もうすでにやっている!との回答なのです。

まーご縁というものはあるものですねー!

その後も私が達郎さんのチケットを取って差し上げたり、貴重音源を焼いてあげたりのやり取りをしていて、木村さんの個展を「名栗の森」という秩父に近い山間のギャラリーに何度かお邪魔する関係になりました。

木村さんという方は、ある意味とても男らしいと言っては失礼ですが、さばさばした性格の方で、何でもはっきりおっしゃいます。ですので、全く嘘のない方です。
 僕はそこを信頼しています。そして彼女の作品が大好きです。特に色彩と造形に自然と寄り添い、その壮大さと繊細さをガラスに素直に取り込んで表現なさっておられます。
木村さんは、力強くストレートという反面、同じくらい繊細さを持っていらっしゃいます。アーティストさんですね。
 それこそ、写真の腕はプロはだし。光とガラスに向き合って取られる写真は当にアートです。

 木村さんは山下達郎を評して「反骨の巨人」と言っておられました。私も大きく頷くところです。
私と木村さんを繋ぐキーワードは、もしかするとこの「反骨」と言うところかも知れません。
社会で当たり前のように語られている当たり前とは何でしょう?
本当にそれは正しいのですか?その報道は本当にそうですか?個人個人がアイデンティティーをもってモノを見る、事柄を考える。こんな当たり前のことが、この日本にはなくなってきている気がします。

「生きる」とは?「豊かさ」とは?100人いれば100様あって良い気がします。一所懸命考え、一所懸命行っているかさえあればどれも正解だと思います。
 日本に溢れている本当にくだらない足の引っ張り合い、人の悪いところを探し出して穿り回すことが雑誌の売れや視聴率に繫がるそんな世の中にあって、優しい心を、生きていく力を与えてくれるものは、こういうピュアーな方々の作り出す作品たちにもある気がします。

なにはともあれ、出会った頃はこの様な形でお仕事を一緒にしてもらう様になるとは思っていなかったのですが、、、。

いや、私の中で予感のようなものはあったかも知れません。











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